「アラブの春」がシリア問題のきっかけとは?

2020年06月09日

 2010年に、チュニジアの民衆蜂起がきっかけとなった民主化運動は、エジプト、リビアの政変を促してアラブ世界に急速に広がり、抑圧された民衆が立ち上がって民主主義を勝ち取る姿は「アラブの春」ともてはやされましたが、その民主化の波はシリアにも飛び火して、長期にわたって続いているバース党一党独裁に対する反対勢力として活動を始めます。

 民主化と聞いてアメリカが刺激されないわけがありません。当初は政府軍と民兵組織の小競り合い程度の対立関係だったシリア内戦は、次第にアメリカが擁護する反政府組織自由シリア軍と、ロシアなどが強力に後押しをするアサド政権側とに分かれ、2012年以降深刻な内戦状態に突入します。

シリアのホムスで発生した反政府デモ(2011年4月) cc Bo Yaser

 内戦状態にシリアに目を付けたのがイスラム国(IS)でした。ISは2013年に、シリアの反政府組織のヌスラ戦線を取り込んでシリア国内に勢力を拡大します。つまり、この時点でシリアでは政府軍と、反政府勢力、それとイスラム国が三つ巴で戦闘を繰り返していたのです。

2014年にはアメリカはシリア政府打倒という当初の目標を変更して、有志連合と合同でイスラム国への空爆を開始します。2015年には、当初イスラム国と歩調を合わせていた反政府勢力がイスラム国と離反してイスラム国に対する戦闘に参加。さらアメリカは、シリアのクルド人組織であるシリア・クルド民主統一党(PYD)とイラクのクルド人組織であるペシュメルガを軍事支援して、クルド人の手でイスラム国の打倒を目指すのです。

 ところがトルコ政府は面白くありません。アメリカが支援するシリア・クルド民主統一党(PYD)は、トルコの厄介者であるクルド労働者党(PKK)と強い協力関係にあったからです。はじめはアメリカ軍に協力してイスラム国の空爆に参加していたトルコでしたが、2015年にイスラム国を撃退したPYDがシリアとトルコの国境地域を統合してクルド人の自治区を作ろうとした時点で方針転換。PYD支配地域に対する空爆を決行します。ところが、PYDはアメリカにもロシアにも支援を受けている勢力であったため、トルコと両国との外交関係は著しく悪化。特にロシアは逆にトルコが支援するシリア内の反政府勢力の拠点を空爆したり、PYDとの関係を強化してトルコ政府に圧力をかけたりします。結局2016年にエルドアン大統領がロシアのプーチン大統領に謝罪をする形でロシアとの関係修復が進みましたが、両国の対立はしこりとなって残り、2020年のリビア内戦でもそれぞれ対立する武装勢力を支援して戦火を交えています。

さて、イスラム国に対する空爆は、その最終段階の2017年にはロシアも参加。シリア国内の内戦では敵同士だったアメリカとロシアが、共通の敵であるイスラム国への空爆に協力するという複雑な関係でした。

 イスラム国は、2017年にはシリアとイラクの拠点のほとんどを失い、2019年に指導者のバグダーディーが殺害されてからは、ほぼ影響力を失います。その裏で、一時は影響力を失っていたシリア政府は、2019年にはシリア国内の支配地域を大幅に奪還。ロシアやイランの協力を得て、再びシリア内の反政府勢力の撲滅を目標に掲げて内戦を継続しています。

 2011年から始まった内戦状態に加えて2013年から2017年まで続いたイスラム国関連の戦闘、さらにはイスラム国崩壊後に再開した政府軍と反政府勢力の戦闘、それに加えてクルド人勢力撃退のために越境攻撃を加えるトルコ政府軍。それらすべてがシリアの民衆の家を奪い、生活を奪い、命を奪い、将来への希望を奪いました。

 2019年現在でシリア国内に避難している国内避難民は660万人そのうち460万人が危機的な状況にあるということです。レバノン、ヨルダンやトルコなどの近隣諸国やヨーロッパなどに渡った難民は100万人に上り、その途中で命を落とす人たちが後を絶ちません。また、シリア難民の受け入れ国となっている近隣諸国も、すでに受け入れが許容範囲を超えており、新たな社会問題となっています。