リビアの内戦はなぜ止まないのですか?
第一に、リビアは古くからトリポリ、フェザーン、キレナイカという三つの明確な地域に分かれていて、海賊国家の中心地として栄えたトリポリ、サハラ貿易の中継地として栄えたフェザーン、そしてイスラム神秘主義の一派サヌーシー教団の本拠地となったキレナイカといった、それぞれ違った特色と歴史的背景をもっています。オスマントルコ帝国時代にも、トリポリやフェザーンはそれぞれ半独立国家として存続していましたから、現在のリビアは、この状態に戻っているといった認識が正しいでしょう。
これら三つの地域を無理やり統合したのが1911年のイタリア王国によるリビアの植民地化でした。この時初めてリビアという国名が登場するのですが、これはギリシャ神話に出てくる海神ポセイドンの妻の名前に由来しています。
さて、このイタリアの植民化に対しては各地方ともに激しい抵抗運動で臨みましたが、特にキレナイカのサヌーシー教団は抵抗運動で主導的な立場をとり、その鎮圧には20年近くかかりましたから、イタリアがリビアを一つの国として統合的に支配できたのはほんのわずかな期間だけでした。
第二次世界大戦後、リビアはイギリス(トリポリ、キレナイカ)とフランス(フェザーン)で分割統治されますが、1949年6月、キレナイカがイギリス支持の下で独立宣言をします(キレナイカ首長国)。しかし独立の条件としてイギリスが提示したのがキレナイカにイギリスの軍事基地を作ることだったため、周辺諸国の批判にさらされることになり、結局同年の年末にトリポリとフェザーンを含めたリビア全体として独立させるという国連決議が行われ、1951年、リビア連合王国が誕生しました。この時、初代国王はキレナイカのイドリース1世が即位していますが、いきなり中央集権的な王国を築くのではなく、首都をキレナイカのベンガジとトリポリの並立にするなどして、地域の自治範囲を損なわせることなく慎重に国家運営が始められました。
ところがあることが原因で、この慎重な国家運営にブレが生じます。1955年の油田の発見です。発見場所はキレナイカのシルテ盆地です。アメリカをはじめとする欧米資本の参入を得て1959年にはシルテ油田の本格的な生産が始められましたが、その利益は王家とその周辺に分配され、国民への富の再分配は行われませんでした。このことが、同時代に進行していた反欧米主義や汎アラブ主義と合わさって「キレナイカの国王」に対する反対運動へとつながっていくのです。
1969年、カダフィー大佐によるクーデターで王政は廃止され、今度はトリポリ主導の国家運営が始まります。徹底した汎アラブ主義者で、反欧米主義者であるカダフィー大佐は、それまで親欧米政策で甘い汁を吸って来たキレナイカを抑圧の対象とします。キレナイカの石油資源は国有化され、その収入はキレナイカへの投資に結びつくことは無く、イスラムの分派であるサヌーシー派は冷遇されました。キレナイカとトリポリの対立の構図はこの時に出来上がったわけです。1990年代に起こったイスラム学生運動の激化や「ジャスミン革命」に触発された反カダフィー運動、それに続くリビア内戦を誘発した根底には、このような対立軸があったわけです。
さて、ここでリビア内戦の構成メンバーを見て行きましょう。まず、2011年、隣国のチュニジアで起こった「ジャスミン革命」の影響を受けて反カダフィー運動を立ち上げたのが国民暫定評議会でした。結成場所はキレナイカの首都ベンガジでした。リーダーのアブドゥルジャリール議長はキレナイカ生まれです。使用された評議会の旗は旧王国時代の国旗でした。国王の出身地はキレナイカです。また、カダフィー大佐が拘束された場所はキレナイカのシルテでした。そして、国際法上本来捕虜として拘束すべきカダフィー大佐をなぶり殺しにしたのはキレナイカの国民評議会側の民兵でした。これでキレナイカ対カダフィー大佐のトリポリという構図がお分かりいただけると思います。
国民暫定評議会は2012年に行われた国民全体会議選挙後に権限を委譲しましたが、自らはキレナイカ暫定評議会を結成して中央政府とは別の独立した政体を確立してしまいます。さらには選挙結果を不満とするイスラム武装勢力が新国民議会を結成して、トリポリに新たな政体を樹立。選挙で選出された代表院はトリポリを離れ、東部のトブルクに退去しました。
ですから2015年の時点でリビアにはキレナイカ暫定評議会、トリポリのイスラム勢力が作った新国民議会、そして2012年の選挙で選ばれたシラージュ首相が率いるトブルクの代表院の3つのグループが存在していたわけです。
ハリファ・ハフタル将軍 cc Magharebia
2015年には国連の仲介でトリポリの新国民議会とシラージュの代表院が合同で国民統一政府を樹立するのですが、それに反対する代表院の一派が離脱してリビア国民軍を結成。2019年にはハフタル総司令官がトリポリに向けて侵攻を開始し、現在に至る新たな内戦状態に突入しました。
さて、ここでトリポリ対キレナイカという対立軸で見直してみましょう。国民統一政府のシラージュ首相はトリポリの名家出身です。対するリビア国民軍のハフタル総司令官はキレナイカの地方都市出身です。ここでもトリポリ対キレナイカの対立の構図がはっきりしますね。
リビア内戦が終わらないもう一つの理由は外国勢力の介入です。特にトルコとロシアの介入はリビアの内戦をさらに激化する恐れがあります。
まず、トリポリのシラージュ暫定政権を支持するのはトルコを筆頭にカタールとイタリアです。一方、ハフタル総司令のリビア国民軍を支持しているのがロシアを筆頭に隣国のエジプト、UAE、サウジアラビア、そしてフランスです。
サウジアラビアとUAEがなぜリビア国民軍を支援しているのかというと、彼らの共通の敵であるイエメンのフーシー派武装組織とトリポリの暫定政権の一部を構成しているイスラム武装組織は、同じイスラム教イバード派に属しているからです。トリポリは、歴史的にイバード派の信奉者が強い土地柄で、一方のキレナイカはイスラム神秘主義のサヌーシー教を信奉してきました。キレナイカ主導のリビア国民軍の最初のターゲットがトリポリのイスラム武装組織だったのは、こういった背景があります。
キレナイカとの歴史的交流の実績があり、イスラム武装組織の活動に頭を悩ますエジプトもリビア国民軍を支持しています。逆にサウジアラビアと国境問題で国交断絶状態にあるカタールはトリポリのシラージュ暫定政権側の支持に回りました。
当然石油の利権も絡みます。フランスは主要な油田権益がキレナイカにありますから当然リビア国民軍側を支持します。その一方で主要な油田・天然ガス田が内陸部のフェザーン地方にあるイタリアは、当初からシラージュ暫定政権側につきますが、積出港がキレナイカにあるため生産がストップしてしまい、ますます暫定政権側の支持を強化しています。
最後にロシアとトルコですが、実は最近の内戦はこの両国の代理戦争のようになってきました。ロシアとトルコはシリア内戦でもたびたび衝突してきましたが、それを転写するかのように主戦場をリビアに移して対立が激化しています。一部の情報によるとロシア軍、トルコ軍双方にシリア内に展開してきた兵力をリビアに回しているとされ、今後一層の混乱が予想されます。
以上がリビアになかなか統一政府ができない原因を(長々と)説明してきましたが、そもそも統一されている状況こそが異常であった歴史的背景の理解につながりましたら幸いです。