ウクライナ危機って今でも続いているのですか?
ウクライナとロシアは2014年以後クリミア紛争およびウクライナ東部の帰属問題で対立。武力衝突に発展しました。2019年には「兵力引き離し合意」が成立しましたが、独立問題では依然対立が続いています。
最新の勢力分布(赤:親ロシア勢力支配地、青:ウクライナ政府支配地)cc ZomBear, Marltaff
クリミア共和国独立問題
クリミア州はウクライナの中でもロシア人の人口が飛び抜けて多く、1989年の統計で67%がロシア人でした。ウクライナ人と比較すると2.6倍です。そのため、ソ連崩壊後の91年8月にウクライナ共和国が独立すると、翌月クリミアではロシアへの帰属を求めクリミア共和国として独立を宣言してしまいます。ウクライナとクリミアの対立は92年から激化しますが、ウクライナ側がクリミアの自治を認める形でクリミア自治共和国を編成。しばらくは小康状態を保っていました。
一方ウクライナ内では親ロシア政策をとるのか、親欧米政策をとるのかで内部対立が激化。2014年には親ロシア派のヤヌコーヴィチ政権に反対する大規模なデモが発生。その鎮圧に失敗したヤヌコーヴィチ大統領は支持基盤である東ウクライナへ脱出。親欧米側はトゥルチノフ議会議長を大統領代行に担ぎ上げて、新政権を樹立します。暫定政府は念願であったEU協定に署名。ウクライナの財政、経済改革をIMFとともに進めるなどして、欧米諸国との関係強化に向けて動き出しました。
そんなウクライナをロシアが黙ってみているわけがありません。ヤヌコーヴィチ失脚は、クーデターであるとして軍事介入を始めるのです。行先は1992年以来、ウクライナとクリミアのロシア人の対立が続いているクリミア半島でした。ロシア軍の侵攻でクリミアの独立勢力が勢いづき、2014年にはクリミア共和国の独立が宣言されます。次いでロシアへの編入が住民投票で決定され、ロシアのプーチン大統領は速やかにクリミア共和国のロシア連邦編入を表明して現在に至っています。
ウクライナ東部紛争
クリミア紛争後、ウクライナ共和国内の親ロシア勢力による独立運動は東部のドンバス地方を構成するドネツィク州とルガンスク州に飛び火しました。ドネツィク州とルガンスク州は、ロシアに国境を接する地域ですが、ドネツィク州では、2014年に親ロシア派によってドケツィク人民共和国の独立が宣言され、ルガンスク州では同年ルガンスク人民共和国として独立宣言を出しました。また同年5月24日には、これら2つの共和国が共同でノヴォロシア人民共和国連邦の結成を宣言して事実上のロシア連邦の支配下に置かれています。同様なロシア化の波はロシアに国境を接するハルキウ州にも飛び火しています。2019年、ウクライナとロシアは武装勢力の引き離しに合意してはいますが、クリミア問題と同様、独立問題の解決の糸口はまだ見えません。