CIS諸国

1.崩壊後のソ連邦は、現在どういう枠組みになっているのですか?

 旧ソ連邦を構成していたのは15の「共和国」でしたが、それぞれの「共和国」のなかには「自治共和国」「自治州」「自治管区」という行政区分がありました。これらを「子会社」とすると、15の共和国は「親会社」、そしてそれらを統制していたロシアはさしずめ「元締め」といったところでした。

 さて、これら「自治共和国」「自治州」等の行政単位は、もともと民族を単位に構成されていました。民族の数は旧ソ連全体で130余りにものぼりますが、旧ソ連では、これらを「子会社」に押し込めて統制していたわけです。以前は情報と武力をロシア一点に集中させることでこれら「子会社」の離脱を回避してきたわけですが、ソ連崩壊で「元締め」のロシアがこけると、なし崩し的に「子会社」の親離れが始まることは目に見えていました。そこで、1991年12月のソ連崩壊以後今日まで、独立宣言がらみで11件の紛争が発生しています。

 ところで、旧ソ連邦では、すべての面でロシアが「元締め」、その他の共和国がそれぞれの「子会社」を従えた「親会社」として動いてきました。政治の面で、すべての権力がロシアの中央政府に集中していたことはご存知の通りですが、経済面でも同じ事がいえました。自動車に例えると、ハンドルやタイヤ、エンジンなどの部品を作って「元締め」の組立工場に届けるのが「親会社」である各共和国の役目だったわけです。しかし、このシステムは「元締め」の調子がいい時にはうまく機能していたのですが、ソ連崩壊によって「元締め」が倒産すると、「親会社」以下は、独立による生き残りの道を一斉に模索せざるを得なかったというわけです。

 さて、「親会社」の「元締め」からの独立は、割合スムーズに行われました。つまり、従来ロシアの下部組織として存在していた11の共和国が、新独立国家(NIS)として独立。それにロシアを加えた12の独立国家共同体(CIS)が91年末に発足したわけです(アゼルバイジャン共和国の正式復帰は93年)。しかしながら、各CIS諸国内部の「親会社」と「子会社」の関係は険悪でした。「親会社」と「子会社」の従業員が民族的に違うところはなおさらのこと、「子会社」がこの機会に民族の自立を考えるのも無理はありません。ということで、ソ連崩壊から数年間は、各独立共和国内での独立運動が盛んに行われました。ロシア連邦内で問題になっていたチェチェン独立紛争や南オセチア紛争などは、その典型でした。

2.独立国家共同体の政治と経済の状況は、どうなっていますか?

 国により違いがありますが、全体的に市場経済化に向けての改革努力が進められており、回復基調で進んでいます。特に中央アジアやコーカサスの天然資源産出国では、石油やガスなどの資源開発を中心に外資の流入が始まっています。しかしながら、それにともなう、道路、橋、法整備などの社会基盤の整備が不十分なため、先進諸国のアドバイザーの力を借りている国も多く見うけられます。

 ちなみに日本は、中央アジアのウズベキスタン、ガザフスタン、キルギスタンと、またアメリカは特にアゼルバイジャンと深い経済関与を模索している状態です。また、最近では上海協力機構を通じて中国と政治的、経済的関係を強化している中央アジア諸国が多く、国によっては軍事訓練を通じて安全保障面での協力関係も強化している状況です。

 また、ロシアとの紛争が原因で2008年にはグルジア共和国が脱退。2014年にはウクライナが脱退しています。

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