非同盟中立主義
第一回アジア・アフリカ会議(1955年)cc Gedung Merdeka
第二次世界大戦後の世界は、アメリカを中心とした自由主義圏とソ連を中心とした共産圏に分かれましたが、もう一つ、共産圏にも自由主義圏にも入りませんよといって、別行動を取り始めたグループがありました。俗に非同盟・中立諸国と呼ばれる国々です。
1.非同盟・中立主義は、どういった意味で重要なのですか?
いかなる軍事ブロックにも属さず中立を保ち、相異なる政治体制の平和共存を目指すのが非同盟・中立主義という考え方です。第二次世界大戦後、世界の国々は共産圏と自由主義圏との二つの軍事・経済ブロックに別れつつあったわけですが、西欧の植民地から独立したての新興国や、諸処の事情で共産圏から離脱した国々、また経済的に大国の中に再び飲み込まれることを恐れた国々は、それぞれの独立を保持するためにグループを作って、その存在をアピールすることになったわけです。これらのグループをまとめて第三世界と呼んだりします。
特にインドのネール首相、インドネシアのスカルノ大統領、ユーゴスラビアのチトー大統領、エジプトのナセル大統領などは、非同盟・中立主義を熱心に指導して、1955年にはインドネシアのバンドンで、アジア、アフリカ地域29カ国の首脳を集めた、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)を開催します。この時採択された「平和十原則(バンドン精神)」は、永く開発途上国の民族解放運動に影響を与えています。
さて、このアジア・アフリカ会議の理念は、非同盟諸国首脳会議に受け継がれ、1961年の第一回会議から基本的に3年に一回、2019年現在までに計18回の会議が開催されました。参加国は年々増加の傾向にあります。特に、70年代からは、従来の反帝国主義論争一辺倒から経済的側面が徐々に強調されはじめ、先進国と開発途上国との経済格差、いわゆる南北問題が提起されるようになってきました。つまり、政治的独立のためには、経済的に先進国から自立しなければならないという発想です。
72年に行われた非同盟諸国外相会議では、経済的独立のために、天然資源を戦略物資として使うことが話し合われました。いつも、先進国にタダ同然で使われている我々の天然資源の輸出と価格を管理して、気に入らない先進国に影響を与えようという戦略です。実際翌年、第四次中東戦争でイスラエルと交戦中のアラブ産油国は、イスラエルに協力する国には石油を輸出しないという決定を下しますが、その結果、先進諸国の経済は急降下。第一次オイルショックの発生につながったわけです。すなわち、この時点での非同盟諸国の世界経済に対する影響力は非常に大きいものがあったわけです。
2.77カ国グループとは、何ですか?
この時期の非同盟諸国の影響力を示すもう一つの事例として77カ国グループの創設があります。1963年の国連総会で貿易開発会議の創設を提唱した75カ国をベースとして、翌年の64年の第一回国連貿易開発会議(UNCTAD)に集まった非同盟諸国77カ国が中心となって結成されたのが77カ国グループです。以後、4年ごとに開かれるUNCTAD総会前に定期的に集会を持って、活動方針を出すようになりました。
77カ国グループは、特に70年代、先進国に対して開発途上国の意見を代表するご意見番的役割を担ってきましたが、80年代に入ると、開発の停滞や累積債務危機など、開発途上国のみでは解決不可能な諸問題がクローズアップされ、また、同じ第三世界でも石油のような天然資源を持つ国とそうでない国との間で経済格差がさらに広がる、いわゆる南南問題が生まれるに及んで、非同盟諸国のまとまりは弱くなってきているというのが現状です。2016年の首脳会議では、非同盟主義の生みの親でもあるインドが参加を見合わせました。
2020年現在、加盟国が134か国にまで膨れ上がった77カ国グループですが、最近の傾向としては、中国が主導的役割を担っているということです。現在、77カ国グループが国連などの場で使う公式な名称は「77カ国グループおよび中国」です。それだけ中国の影響力が増しているのですが、そもそもGDP世界第二位の中国が果たして開発途上国なのかという問題が浮上しています。経済弱者のお面をかぶった巨人のしたたかな外交戦略ですね。