西サハラ紛争

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1.スペイン撤退と隣国の介入

 西サハラ地域は、1934年から76年までスペインの領土でしたが、スペインが同地域の領有権を放棄して撤退することを決定するや否や、南に国境を接するモーリタニアと北に国境を接するモロッコがスペイン撤退後の西サハラの分割、併合について秘密協定を結んでしまいました。そして、スペイン撤退前年の75年には、スペインもその秘密協定に同意して、西サハラ南部をモーリタニアに、北部をモロッコに併合することを承認したわけですが、実際76年にスペインが撤退してモロッコ、モーリタニア両国に併合されると、西サハラ内の独立派が黙ってはいませんでした。彼らはポリサリオ戦線という武装組織を作り、「サハラ・アラブ民主共和国(SADR)」の独立を宣言して抵抗運動を繰り広げますが、これをモロッコとの国境問題で対立するアルジェリアとリビアが支援したため、紛争が長期化しました。

 ポリサリオ戦線は独立をかけた紛争でよく戦い、まず南部のモーリタニアが1979年に西サハラ南部の領有権を放棄します。それを見たモロッコは、今度は西サハラ全土の領有権を主張して派兵します。アフリカ統一機構(OAU)の調停も不発に終わり、以後9年間、血で血を洗う闘争が繰り広げられたわけですが、88年にモロッコとポリサリオ戦線を支援するアルジェリアの国交が回復したのをきっかけに、平和的解決に期待が寄せられ、モロッコは住民投票による問題解決という国連案を受け入れます。

 1989年には、モロッコ国王ハッサン2世とポリサリオ戦線代表が首脳会談を行い、91年に停戦が実現。同年、住民投票を実行するための国連機関である国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が創設され、あとは住民投票を待つだけということになったのですが、有権者登録に予想以上に手間と時間がかかり、92年に予定されていた投票は延期され、一時は有権者確定作業そのものが停止しました。1997年にはモロッコ、ポリサリオ戦線双方が住民投票のやり方で合意に達して、2000年に「独立かモロッコへの併合か」を問う住民投票を行うことになりました。しかしながら、有権者の確定作業は遅々として進んでおらず、2020年現在でも問題解決の糸口はつかめていません。ちなみにサハラ・アラブ民主共和国はアフリカ連合に加盟しており、世界80か国から国家としての承認を得ていますが、国連では国家承認はされていません。

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