国際通貨基金(IMF)
cc IMF
1.IMFは、どのような役割を果たしているのですか?
国際通貨基金(IMF)の当初の役割は、国際通貨を安定させて、国際貿易を進める土台作りをすることでした。どういうことかというと、例えば、アメリカと日本の間に貿易関係があるとしましょう。日本の商品はアメリカで飛ぶように売れますが、一方アメリカの商品は日本でまったく売れなかったとします。これが、貿易不均衡という状態です。さて、日本の商品をアメリカに売る場合には、当然アメリカの通貨であるドルで売るわけですから、商品をいっぱい売った日本はドルをいっぱい持っています。一方アメリカは、日本にあまり商品を売っていないため、日本の通貨(¥)をあまり持っていません。
さて、このような状態で日本に決済期が来たらどうなるでしょう?日本は、貯めにため込んだドルを売って、円に両替しなければなりません。しかし、日本にあまり商品を売っていないアメリカには円がありませんから、このままでは日本に対して実際の支払いができないということになります。
しかし、実際には各国ともにある程度の外貨を持っていて、通常の通商に関してはまったく問題ないようにしているのが普通です。これを外貨準備と呼びます。つまり、アメリカも日本の通貨をあらかじめ用意していますから、そこから円の支払いをすれば良いわけです。しかし、貿易不均衡の状態が続くと、当然この外貨準備がどんどん減っていき、最後には底をついてしまいます。外貨が底をつくと、自国の通貨が暴落します。なぜなら、アメリカ以外の国は、ドルを売ってそれぞれの通貨に交換するわけですが、外貨の無いアメリカは、外貨を売って、自国の通貨を買い戻すことが出来なくなるからです。結果、ドルを売る量が、ドルを買う量をはるかに上回ってしまいますから、ドルは暴落するのです。
このような状態になった時に効果を発揮するのがIMFの融資です。簡単に言うと、円が足りなくて困っているアメリカに、円を融資して、日本とアメリカの決済をスムーズにし、かつドルの暴落を防いで、通貨と貿易の安定を促進するのがIMFの役目というわけです。
IMFには、大まかに言って6種類の融資形態があります。そのうち70年代までの融資制度は、どちらかというと短期で小規模なものが多かったのですが、80年代に追加された融資制度は、より長期で大規模なものになっています。また、2000年には、貧困総撲滅のための融資制度も別枠で設けられました。理由は以下に述べます。
2.IMFの役割は、設立当初から変わっていないのですか?
IMFの機能は、まず1973年に大変革を遂げます。アメリカの経済は、戦後十数年で、早くも不安定になってきました。ヨーロッパや日本などの経済復興が異常に早く、60年頃には、もはやアメリカ一国が世界経済をコントロールできる状況ではなくなっていたのです。特に58年から数年間、アメリカは年間30億ドルといわれる国際収支の赤字を抱え込むようになり、ドルの信用も落ちてきました。
そこでアメリカが出したのが数々のドル防衛政策でしたが、その最たるものが71年に、当時のニクソン大統領によって出された9項目の新経済政策でした。この中にはドルと金の交換、及び固定相場制を停止するという項目が含まれていました。つまり、ブレトンウッズ体制の柱の一つとなっていた金本位制、金・ドル兌換性、固定相場制が、これですべて崩壊してしまったわけです。こうして世界の通貨システムは73年から、各国の実質的な経済力に合わせて通貨の交換レートが定まる、変動相場(フロー)制へと移行していくのですが、この時点で「通貨を管理する」というIMFの本来の役割も終わったかに見えました。
しかしながら73年、イスラエルとアラブ諸国の対立から第四次中東戦争が起こり、中東産油国はイスラエルを支持する国に対する原油の値段を吊り上げます。世界各国の経済に著しい打撃を与えたこの状況は第一次オイルショックと呼ばれ、以後世界は恒常的な国際収支不均衡に悩まされました。特に、開発途上国の経済的混乱は大きく、世界の商取引に大きな影響が出てきました。そこで、国際収支と通貨の安定のために、開発途上国に対する財政融資を行うという新たな仕事がIMFに加わったわけです。
IMFは当初、先進国向けの信用供与機関といった位置づけで、実際、先進国しか貸し付けを受ける国はなかったのですが、70年代に入ると、こうして第三世界に対する融資にも力が注がれるようになったのです。さらに、80年代に入ると、借金地獄からぬけられない国をどうするかといった問題、つまり、累積債務問題がクローズアップされてきます。この頃からIMFは、主に開発途上国向けの、経済再建アドバイザーのような役割に転換していきます。つまり、累積債務国の構造的な赤字体質を解決するためにIMFが介入する場合は、融資を受ける開発途上国に対し、コンディショナリティーという融資条件をつけ、財政構造の改革に向けた指導を行なっていくようになったのです。先進諸国間の為替政策や国際通貨体制の改革といった、従来IMFが担当していた役割は、先進国の蔵相・中央銀行総裁会議(G7)その他に移ってしまい、現在のIMFの活動は、もっぱら第三世界の通貨安定に向けられているのが現状です。
3.IMFのコンディショナリティーとは、どのようなものですか?
例えば97年のアジア通貨危機でIMFの融資を受け入れたインドネシアの内政に関して、IMFがああせい、こうせいと注文をつける場面が数多く見うけられました。IMFは、一国の政治にも注文をつけられるだけの権力があるのだろうか?もしかしたら、アメリカよりも強いのでは?などと、感じられた方も多かったのではないでしょうか。実は、これには、IMFのコンディショナリティーというものが関係しているのです。
コンディショナリティーというのは、簡単に言うと融資の条件です。会社が資金繰りに行き詰まったり経営難に陥ったりすると、銀行側が会社の経営に関して、色々注文をつけますが、同じように、ある国がIMFから融資を要請した場合、IMF側は、その国に融資条件が整っているかどうかを判断し、多くの場合、その国に最も適切と思われる経済政策パッケージを提示して、それを履行することを融資の条件にします。
実際の融資も何度にも分けて行われ、その都度経済政策パッケージの実施がうまく行っているかどうかチェックされます。もし、当初提示した政策が実行に移されていない場合は、その時点で以後の融資を打ち切られる場合もあり、いずれにしても、借りる方としては大きな足かせとなります。
同じく97年の暮れに韓国が経済危機に陥ったとき、IMFからの融資よりも、日米からの直接融資を受けたいという申し出がありましたが、これも、コンディショナリティーというIMFの「足かせ」を嫌った結果です。
そんな大変な融資なら、受けない方が良いのではないかと思うでしょうが、逆に、IMFからの融資を受けた方が、開発途上国にとっては都合がいいこともあるのです。なぜかというと、IMFが融資を行うということは、その国の経済政策がIMFのお墨付きをもらったと評価され、通貨や株価が安定して投資や金融活性化の触媒になることが多いのです。逆にIMFの融資が受け入れられないということになると、世界銀行からも、その他の市中銀行からの融資も滞ってしまいます。
また、IMFのお墨付きがもらえず、とち狂ってIMFを脱退しようものなら、脱退三カ月後に、自動的に世界銀行の加盟国からも外されてしまいますから、経済状態が悪化した国にとって、IMFはまさに最大の脅威となるのです。
さて、IMFのコンディショナリティーについては、それが融資対象国の独自の事情を無視したワンパターンな政策であることが、よく批判の対象となっています。 実際IMFの経済分析モデルが、融資対象国ごとに変わるということはありませんし、また、IMFのコンディショナリティーは、遅くとも五年以内に国際収支の赤字を通常の資本流入で賄いうる程度まで圧縮することを目標としているため、多大な犠牲を強いられる被支援国の攻撃対象となっています。つまり、ゆっくり療養して直す仕組みではなく、一気に患部を切断するショック療法が、IMFのやり方だったわけですが、この手法については、さまざまな方面から批判が出て、コンディショナリティーの見直しを進めるきっかけとなりました。
4.貧困国に対する特別な支援というのは、どんなものですか?
IMFの本来の役割は、世界通貨の安定でしたが、やはり世界の貿易が恒常的に不均衡になってくると、貧困国に対する支援もやって行かなければならないということになってきました。やはり「金は天下の周りもの」であって、お金を使ってくれる人が多ければ多いほど世界貿易も拡大するわけです。一方、貧困国が多くなって、これ以上金がまわらない状況になると、先進国もモノを買ってくれる人がそれだけ減るわけですから、両方とも損です。
そこで、86年、87年と、最貧国に対する融資を目的とする、構造調整融資(SAF)、拡大構造調整融資(ESAF)がそれぞれ導入されたわけです。しかしながら、結果は思っていたほど華々しくはありませんでした。つまり、0.5%という超低利子でお金を貸したのは良いのですが、結局、その借金も払えず、債務がかさんでしまう国が続出したのです。
こうなったら、貧困国にねらいを定めて、集中してやって行かなければだめだ、ということで出てきたのが「貧困削減成長ファシリティ(PRGF)」と、「拡充HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ」でした。簡単に言うと、IMFが世界銀行および民間の援助機関、NGO、シンクタンクなどと協力して、特定の貧困国が貧困から抜け出すために一番必要な点は何かということを考えぬいて、その優先順位にしたがってお金を出していこうということです。これによって今までの拡大構造調整融資(ESAF)は停止。1999年以後はPRGFで、より貧困国の内政に踏み込んだアドバイスを開始します。とりあえず、IMF加盟国のうち、80か国を対象に、PRGFが始動しましたが、2009年にはPRGFに代わって、より柔軟な「拡大信用ファシリティ(ECF)」を導入。いわゆるリーマン・ショックによって引き起こされた世界金融危機の影響で国際収支の赤字に悩む途上国に向けた融資を始めています。
また、「拡充HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ」のほうですが、まずはPRGF対象国80か国に向けた計画として96年に導入されましたが、99年にはそのうち、37か国に絞った債務削減を目標に再スタートしました。一方、債務削減の対象国になると、新たな融資を受けることが難しくなったり、内政干渉ぎりぎりの「指導」を受けなければならなくなったりすることもあって、貧困国にとっては痛し痒しの話しでした。そこで2005年にはマルチ債務救済イニシアティブ(MDRI)が導入され、HIPCイニシアティブのプロセスが最終段階に入った国に対しては、IMF、世界銀行、およびアフリカ開発基金(AfDF)の債務を100%減免するという特典が付きました。2007年にはこのイニシアティブに米州開発銀行も加わり、重債務貧困国に対する救済を開始しています。
5.IMFの資金はどこから来ているのですか?
IMFの資金は、加盟国からの出資金によってまかなわれています。これは、加盟国がIMFの株を買っていると考えればよいでしょう。また買った株の数で、総会での発言権が大きくなったり小さくなったりします。これを投票権といいます。また、持っている「株」は、SDR(特別引出し権)と呼ばれ、加盟国はこの持ち株(SDR)分を、緊急時にIMFから融資してもらうことが出来るシステムになっています。
97年度中旬に起こったタイの通貨危機をきっかけに、IMFの資金増額が決定しました。94年末にメキシコの通貨危機が発生。97年にはタイの通貨危機がインドネシアと韓国に飛び火。さらに98年にはロシアとブラジルの通貨危機が起こるなど、大規模な通貨不安が近年立て続けに各地で巻き起こりました。そこで今後は、なるべくIMFの財源を多くして、このような不測の危機に対処していこうという機運が高まります。特に2008年に発生したリーマン・ショックに端を発する世界金融危機に対応すべく、日本の1000億ドルをはじめ先進諸国で最終的に7500億ドルの融資がIMFに対して行われ、資金基盤が拡充しました。
さらには2010年の総会ではIMFの資金調達を倍増させる決議があり、2016年に最終的に実行に移されました。2019年現在、日本(6.46%)はアメリカ(17.41%)に次ぐ第二位のIMF出資国ですが、中国が6.39%と急速に存在力感を高めており、これ以上の増資は中国にさらなる台頭を促すという政治的な思惑もあって、次回の増資は2023年まで延期されました。一方の中国は2016年にアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立。中国主導の巨大経済圏構想である「一帯一路構想」を支える組織としてブレトンウッズ体制とは別の独自の動きを始めています。
ちなみに2019年現在、日本は、アジア開発銀行(ADB)で、アメリカと同率首位。世界銀行では、第二位の出資国になっています。