国連平和維持活動(PKO)

ソ連崩壊以降増え続けるPKOは冷戦のツケ?

ボスニア・ヘルツェゴビナPKO cc Mikhail Evstafiev

1.国連の平和維持活動(PKO)はどのような活動をしているのですか?

PKOというのは、局地的な紛争の拡大を防止するために、停戦成立時に、紛争当事者の要請で行なわれるさまざまな平和維持活動です。国連参加国によって編成される小規模の国連平和維持隊(PKF)や、国連軍事監視団などが、主に停戦維持や、兵力引き離しなどの業務に携わります。

 最近では、こういった、オーソドックスな平和維持活動では効果が薄いというわけで、より積極的な調停・和解活動が取り入れられるようになりました。選挙の監視や、人権の監視、さらには行政指導などといった、文民部門の活動を含むこれらのPKO活動を、第二世代のPKOと呼んだりします。最近では、それでも手ぬるいということで、武力行使を容認する動きが出てきました。これを拡大PKO、もしくは第三世代のPKOと呼んだりします。さらには、実際に紛争が起こっていない地域でも、将来紛争が発生しそうな状態にある場合は、紛争予防の活動を行うために部隊を展開する例も出てきました。95年から99年までマケドニアに展開された国連予防展開隊(UNPREDEP)がそれです。こういった予防的な措置は、PKO活動の新しい分野です。

2.冷戦終結以降PKO活動の数が増えてきたのはなぜですか?

パレスチナ休戦の監視を行なう「国連休戦監視機構」が、国連初の平和維持活動として1948年6月に発足して以来、2019年月現在までに71の平和維持活動が展開され、2020年現在13の平和維持活動が今なお続いています。

 ところで、国連平和維持活動の数は、80年代後半から急激な増加傾向にあります。ちなみに48年から70年代にかけての平和維持活動の数は13件。およそ2年に1件の割合でしたが、ソ連崩壊間近の1988年から現在にかけては59のPKOが新設されており、設置のスピードも1年に3件以上と、6倍強の伸びになっています。

 つまり米ソ両大国、特にソ連が地域紛争を解決する能力があるうちは、国連を通さずに、独自の戦略で行動していたのが、だんだん国力が弱まるにつれ、国連を通じて他国と協調せざるを得なくなってきたわけです。85年にはソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(改革)が始まっており、外交姿勢も対立から協調へと変化を遂げていました。国連の安全保障理事会で拒否権を乱用していたソ連が、急におとなしくなったのもその頃からです。

 一方、91年のソ連崩壊後、アメリカが圧倒的な力を持つに至ったかというとそうでもありません。こちらも冷戦期に払った借金のつけが回ってきて、冷戦後、特に増加する地域紛争の面倒を、いちいち見る力がなくなってしまいました。そこで注目を集めたのが国連の平和維持活動だったわけです。つまり、「大国が大金払って世界の紛争管理をする時代は終わりましたよ。これからは、各国が金と人を持ち寄って世界平和の維持を分担してやっていきましょう」というわけです。そこで92年2月、安保理に平和維持活動局(PKO局)が新設されて以来、国連の平和維持活動は年々強化されているのです。

 さらに、PKOが展開される地域も時代によって大きく変わりました。80年代までは、PKOの主な展開先はアフリカや中南米だったのですが、91年末のソ連崩壊後は、旧ソ連邦内の共和国や旧共産圏で内戦が相次ぎ、PKOの半数が旧共産圏で占められていた時期もありました。現在展開中のPKOを地域別に見ると、アフリカで7件、アジアで2件、ヨーロッパで3件、中東で3件となっています。

3.PKO活動は本当にうまく機能しているのですか?

80年代後半以降、数々のPKOが新設されている一方で、PKO活動が実際に成功したという景気のいい話はほとんど聞きません。というのも、あらかじめ敵対する勢力が和平に完全に合意していたカンボジアの例を除いて、昨今のPKOは、対立勢力が完全な合意に達する以前に、人道的観点から介入するケースが増えており、このような状況の下で派遣されたPKO活動が、ことごとく失敗しているからです。特に、何の効果もなく撤退を余儀なくされた第二次国連ソマリア活動以後、米国を初めとする西欧諸国は安易な介入を差し控えるようになっています。

 また、昨今のPKO活動には、従来なかった新しい問題が生じています。つまり、「国連平和維持活動は誰の要請で動くのか」というものです。PKO活動を行なうためには、まず停戦合意の存在があることが前提条件で、それに加えて実際の展開には、敵対するどちらかの要請が必要になります。

 ところが、従来の国際紛争のように、国対国の問題なら話は簡単なのですが、ソマリア、ルワンダや旧ユーゴスラビア紛争のように、昨今の紛争は民族や宗教など、国家の枠を超えた団体が行動の主体になっている場合が多く、そのような状況でPKOが出動することは、下手をすると内政干渉になりますし、「中立・不干渉」というPKOの原則にも触れてしまいます。

 また、ボスニア紛争のように、PKOの「自衛以外の武力不行使」の原則を守り続けると、なめられて人質に取られたり、狙い撃ちされたりして、結局平和維持の目的を果たせないまま、ひくに引けない状態になってしまうという事態も出てきています。

 いずれにせよ今後のPKO活動には、どの時点で介入するのかという点と、武力の行使をどうするのかといった点で、より明確な位置づけが必要になってくると考えられます。

4.PKOに対する日本の姿勢は?

湾岸戦争で出遅れて以来、「金だせ、汗出せ、血を流せ」という国内外の批判に応える形で、92年6月に出来たのが、国際平和協力法です。この協力法により、日本は、国連の要請に基づくPKOへの参加や、人道的な国際救援活動が、かなりの程度できるようになりました。

 しかしながら、日本独自のPKO原則というものがあって、その中には、停戦や受け入れ合意が破られた場合、または中立的立場をとることが困難になった場合に、業務を中断して撤退することなどがあげられています。要するに、戦闘が始まったら逃げるということです。

 PKOへの自衛隊派遣は、カンボジア(92~93年)、モザンビーク(93~95年)、中東ゴラン高原(96~2013)に引き続き、南スーダン国際平和協力業務(2011~2017年)に参加しました。2019年からは国連が統括しないPKO類似活動という新しい協力枠でシナイ半島国際平和協力業務(MOF)に参加しています。

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