世界銀行
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ブレトンウッズ体制の中で「開発協力」の部分を担当するのが世界銀行の役目です。もともと国家単位の公共事業に対する投資銀行という性格を持っていた世界銀行でしたが、投資内容や相手国の事情の変化に応じて世界銀行の役割も徐々に変化してきました。特に昨今は、貧困を低減するためのプロジェクトを、IMFなどの国際機関および各種NGOなどと協力して一致団結して進めているような状況です。以下では世界銀行の役割と、その変化について簡単にまとめてみましょう。
1.世界銀行にはどのような役割があるのですか?
世界銀行(以下世銀)の設立当初の正式名称は、国際復興開発銀行(IBRD)です。つまり、もともと戦争で荒廃したヨーロッパを復興するために設立されたものでしたが、実際の活動は、むしろ60年代に入ってから活性化しました。というのも、第二次世界大戦後の1948年からは、アメリカ主導で行われたマーシャル・プランがヨーロッパ復興の軸となっており、世銀は経済政策面で側面支援をしていたという感じが強かったからです。しかしながら、52年まで続けられたマーシャル・プランが予想以上の成功を収め、西ヨーロッパ16カ国をたった五年間で戦前を上回るレベルにまで回復させることに成功したことで、以後の世銀の活動に大きな期待が寄せられました。
マーシャル・プランの成功で気を良くしたアメリカは、以後、第三世界に対しても同様の経済援助をすることで、西側自由主義の勢力を拡大していこうとします。そのような期待に応じる形で、1960年、最貧国への特別融資を取り扱う国際開発協会(IDA)が世銀内に設置されます。IDAの融資は、IBRDの融資条件を緩和したもので、無利子か、ほとんど無利子に近い低金利で融資し、償還期間、いわゆるローンの期限も35~40年という、お金のない国にとっては、非常に有利な条件でした。
61年には、ケネディー米大統領の主唱による「国連開発の10年」構想が発表され、第三世界に対する経済援助の骨格が定まりました。要するに、ヨーロッパでまいた種が、うまいこと芽を出したので、第三世界にも同じように種をまいてやろうというわけです。ちなみに「国連開発の10年」構想は、その後10年ごとに更新されていて、2011年からは「第六次国連開発の10年」が始まっていますが、未だに「芽が出た」という景気のいい話は、あまり聞きません。
61年に出された「国連開発の10年」構想から先、世銀の業務は、もっぱら開発途上国の開発支援が中心になりました。つまり、お金のない国がダム建設などの事業を行なう場合、世銀、または世銀が保証する民間資本が長期にわたって低利子でお金の世話をするわけです。ちなみに、戦後の日本も世銀の融資を受けて、新幹線、東名高速、愛知用水、黒部第四ダムという4つのプロジェクトを行ないましたが、そのとき世銀から借りた借金の返済が終わったのが1990年のことでしたから、どれだけ長い間借りられるのかが、おわかりでしょう。
2.世銀の役割は、開発途上国のインフラ整備と理解していいですか?
60年代までの世銀の融資対象は、たしかに電力、運輸などの経済インフラが主でした。戦後の復興には、そういった大規模プロジェクトが必要不可欠だったからです。しかしながら、70年代に入ると、貧困層の問題が第三世界で重要視されるようになり、大規模プロジェクトよりは、人間が食べていくことに必要な環境をそろえることに重点が置かれるようになりました。医療、食糧などの、いわゆる「基礎生活分野(Basic Human Needs)」に対するプロジェクトが、70年代以降の世銀の特徴となっていったのです。現在、世銀の融資対象は、教育、環境問題、女性問題、人口問題など、より包括的な社会問題の分野にまで広がっています。
さて、80年代に入ると第三世界の累積債務問題が表面化し、世銀としても個々のプロジェクトの効果をあげるために、融資対象国の国際収支の不均衡を解決する必要性がでてきました。そこで世銀は、従来の開発プロジェクトとは別に、国際収支の赤字補填などを目的とした構造調整ローン(SAL)や、セクター別に資金援助を行なうセクター調整ローン(SECAL)などを融資業務に加えることになりました。要するに、IMFの構造調整融資にきわめて近い融資を、世銀も世銀の枠でやり始めたというわけです。
しかし、このような開発プロジェクト以外の融資は、どちらかというとIMFの業務と重なるため、世界銀行とIMFは、とりあえずの措置として、このノン・プロジェクトローンの総額を、IBRD融資の25%、IDA融資の30%以下に抑えてきましたが、2000年9月の世界銀行・IMFの総会では、それぞれの役割分担をより明確にするために、IMFは資金繰り危機に陥った国に対し、民間金融機関による融資が可能になるまでの「つなぎ融資」に重点を置き、一方の世界銀行は、貧困やエイズ対策、社会資本の整備などの支援を中心にするという取り決めが行われました。
2000年には、世界銀行の新しい取り組みとして、包括的開発フレームワーク(CDF)というプログラムが始まりました。これは、IMFや多の国際機関、および各種NGOと協力して、貧困国ごとに一番効果的な援助体制を決めて行くもので、基本的な考え方はIMFの貧困削減成長ファシリティ(PRGF)と同様、援助関係者が一致団結して、いかに貧困を無くして行くか、知恵を絞りましょうということです。
3.世銀の資金はどこから来ているのですか?
日本のODA予算は、1997年にピークを迎え、2019年には、とうとうピーク時の半分にまで縮小してしまっていますが、逆に世界銀行の融資額は年々上昇傾向にあり、特に2018年に1.4兆円増資を行ったこともあって融資総額は2019年現在、IBRDで232億ドル、IDAで219億ドル。グループ全体で595億ドルにまで拡大しています。
さて、世銀の中核を成すIBRDとIDAは、それぞれ資金繰りが違います。まずIBRDは、独立採算の金融機関です。資金の3分の2は、世銀債という債券を国際金融市場で売って得られます。残りの3分の1は、加盟各国からの出資や融資の返済金などでまかなわれていて、各国の出資の割合で投票権が決まります。
一方のIDAのほうは、独立採算ではなく、先進国の拠出金が資金源となっていて、三年ごとに会議を開いて、先進各国がどのくらいの資金を負担するかを決めます。この資金は、各国のODA予算の一部として捻出されるわけですが、最近ではなかなか資金繰りが難しいようです。IDAへの拠出金の割合は、IBRDと同様、そのまま投票権に反映されます。つまり、たくさんお金を出した国の決定権が増すという仕組みです。現在日本はIBRD、IDAともにアメリカに次ぐ第二位の投票権を持っています。
このような、世銀への通常のかかわりとは別に、日本政府は世銀と共同で「政策・人的資源開発(PHRD)基金」を90年に設立。途上国への資金協力への効果を高めるために設立されたこの基金は、途上国の人材育成や適切なプロジェクトの発掘・形成などの分野で活用されています。
4.世界銀行の組織を教えてください
通常われわれが「世界銀行」という場合、それはIBRD、IDAという、これら二つの機関を指すわけですが、世銀では現在、それ以外に民間企業に投資を行なう国際金融公社(IFC)、投資保険的業務を扱う多国間投資保証機関(MIGA)、さらに政府と外国投資家間の紛争の調停と仲裁の手段を提供する投資紛争解決国際センター(ICSID)という3つの機関が活動しています。これら3機関と「世界銀行」をあわせて世界銀行グループという呼び方をします。こう書くと、実際5つに機関が別々に存在しているような気がしますが、実際の業務は、多くの場合共通の組織、スタッフのもとに活動を行っており、雰囲気的には、会社の中の「部署」と考えればよいでしょう。