ユダヤ人とは?
アラブ人やパレスチナ人とどう違う?
再現された1世紀のエルサレム cc Berthold Werner
1.ユダヤ人とは誰のことを指すのですか?
1970年にイスラエルの裁判所でなされたユダヤ人の定義は「ユダヤ人を母とする者およびユダヤ教に改宗した者」ということなのですが、厳密には、誰が「ユダヤ人」なのかという質問に対する明解な答えは、実はユダヤ人の間でもいまだに見出されていないといったほうが正しいのかもしれません。実際、その解釈をめぐって、内閣が総辞職に追い込まれた事件もあったほど、「誰がユダヤ人なのか」という問いかけ自体、非常に微妙な政治的問題なのです。
特に、改宗にはユダヤ教の宗教法による手続きが必要となりますが、その手続きを改革派と保守派それぞれが独自に持つ宗教法で行っても良いのか、それとも正統派の手続きのみが有効となるのかで、いまでも議論が続いていて、80年代後半には、この問題で、アメリカの全米ユダヤ人協会と、イスラエル本国に緊張関係が生まれたほどです。
さて、イスラエルでは、同じユダヤ人でも、出身地などの違いで、アシュケナディム、セファルディム、さらにミズラヒームという3つのグループ分けが非公式になされています。アシュケナディムとは、ドイツから東ヨーロッパにかけて住んでいたヨーロッパ系ユダヤ人のことで、第二次大戦中にはナチスによるホロコースト(大虐殺)の対象となった人達です。会話はヘブライ語とドイツ語をミックスしたイーディッシュ語が主体となっています。イスラエル国内でのアシュケナディムの占める地位は高く、知識階級や上流階級のほとんどがアシュケナディムであるといっても過言ではありません。
一方、セファルディムというのは、ローマ帝国時代の迫害で、主にスペインに「離散」した人々中心のグループです。彼らの祖先は15世紀にスペインで起こったキリスト教徒の失地回復運動(レコンキスタ運動)で再び迫害され、その後北アフリカ及び中東全域に再移住しました。その後セファルディムは、オスマントルコの保護政策により中東地域に定住し、アラブ文化に同化。ほとんどがアラビア語を話す、言わばアラブ系のユダヤ人と言っても良いでしょう。そして、これらセファルディムの中でも、特に中東イスラム世界出身のユダヤ人を総称してミズラヒームと呼びます。
イスラエル国内におけるセファルディムやミズラヒームの地位は低く、階層的には、最下層に位置する非ユダヤ系アラブ人(パレスチナ人)と正統派上流階級であるアシュケナディムとの中間層を占めています。
2.アラブ人、パレスチナ人とは誰のことを指すのですか?
「アラブ人」とは、簡単に言うとアラビア語を母国語とする人たちです。宗教的、政治的な分類ではないため、キリスト教徒や、ユダヤ教徒のアラブ人も実際に存在します。ちなみにシーア派イスラム教の指導者を自認するイランは、ペルシャ語圏ですから、アラブ人とはいえません。一方、「パレスチナ人」というのは、土地からくる概念です。単純に言うと、イスラエル建国以前からパレスチナに住んでいた人がパレスチナ人ということです。もともとアラビア語を母国語としていたので、パレスチナ・アラブともいいます。パレスチナ人も、宗教的分類ではないため、イスラム教徒の他にキリスト教徒など、さまざまな宗教の信徒がいます(ただし、ユダヤ教徒はユダヤ人)。
3.エルサレムはなぜ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地になっているのですか?
古代ユダヤ王国の礎を築いたダビデ王は、神との契約どおりシオンの丘(エルサレム)を首都とし、モーゼがシナイ山で神から授かったとされる十戒を刻んだ二枚の石版を祭りました。さらに、その後継者のソロモンは、その地に神殿を築き、唯一神ヤハウェーのための宗教祭典を行なう、最も神聖な場所と定めました。以来、エルサレムは、ユダヤ教の聖地として、ユダヤ人の精神的な拠り所となったのです。
19世紀の後半、ヨーロッパに住んでいたユダヤ人を中心に「神から約束されたシオンの地(エルサレム)に帰り、ユダヤ人の国家をつくろう」という、いわゆるシオニズム運動が起こった背景にも、ユダヤ教徒が精神的な拠り所とする「神との契約」が、エルサレムを中心とする土地と直結していることが影響しています。その意味でも、エルサレムは、ユダヤ人にとって、その存在意義ともいえるほど重要な土地なのです。
一方、イエス・キリストが十字架にかけられ、さらに復活したとされるゴルゴダの丘もエルサレムにあります。イエス・キリストは最期の数日間をエルサレムで過ごし、多くの足跡を残していますが、その一つ一つが、のちにキリスト教の聖地となりました。また、キリスト復活後、信徒が集まって新しい教団としての礎を築いた地もエルサレムであったため、キリスト教徒にとっても、エルサレムは特別の意味をもつ聖地なのです。
しかし、その一方で、エルサレムがイスラム教の聖地でもあると言うと、驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。近年、イスラム教徒のなかでもとくに反イスラエル、反アメリカ、反西欧文明を唱える一派の行動が目立つため、意外に思われるのも無理ありませんが、エルサレムはメッカ、メディーナに次ぐ、れっきとしたイスラム教第三の聖地なのです。
現在、イスラム教徒は、メッカのカーバ神殿の方角に向かって祈りをささげるのが日課となっていますが、預言者ムハンマド(マホメット)の時代には、なんとメッカではなく、エルサレムに向かって礼拝していた時期もあったのです。イスラム教の聖典コーランにも、ムハンマドが天馬に乗ってメッカからエルサレムに飛び、そこから光の階段を昇って天上世界を訪れたと記されています。このように、エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教と同様にイスラム教にとっても、非常に重要な場所なのです。
その理由は簡単で、極端にいうとイスラム教は、ユダヤ教、キリスト教と、もともと同じ宗教だからです。コーランによると、「神はまずアブラハム(ユダヤ教の預言者)に啓示を与えたが、続くものが独善に走り世が乱れたので、イエス・キリストを世に送り、唯一神教の立て直しをはかった。しかし、人々が預言者にすぎないイエス・キリストを神として崇め出したため、三度目の正直でムハンマドを世に遣わし、いっても聞かない人々に、神の直接の言葉であるコーランを授けた」という図式になっています。
つまり、イスラム教の教えは、「神が最初にアブラハムやイエスに伝えた啓示をちゃんと守れよ」ということに尽きるのです。となると、そもそもユダヤ教、キリスト教、イスラム教という区別は無意味になります。イスラム勢力が中近東一帯を支配した折に、支配地に住むユダヤ教徒、キリスト教徒を「経典の民」、つまり、もともと同一の神を信仰する同志として保護したのもこのためです。したがって、ユダヤ教、キリスト教が聖地とするエルサレムは、自然とイスラム教の聖地でもあるわけです。