ブルネイ・ダルサラーム国

出典:外務省HP 

1.ブルネイ・ダルサラームってどんな国?

 サラームというのはアラビア語で平和、ダルというのは場所という意味ですから、「平和な地ブルネイ」というのが国家の名称になっています。実際、石油と天然ガスの産出国であるブルネイでは、歳入の9割以上がこれらの資源輸出によるもので、そのうち、液化天然ガスのほとんどと、原油の3割は日本に輸出されています。人口28万5000人に対して国民総生産が40億ドルもあり、一人あたりの国民総生産は、シンガポールに次いでアジア諸国第2位の実績を誇っています。同じ産油国と比較しても、ブルネイはアラブ首長国連邦、クウェートに次ぐ第3位。サウジアラビアよりも実績が上ですから、個人レベルでは、かなりのお金持ち国家といえます。その上、このほとんどが安定した石油関連の収入によるものですから、毎日あくせく働かなくてもいいですし、おまけに所得税もなく、社会保障制度も完備。教育、医療など公共のものもすべて無料なので、この国は文字通り「平和な国」なのかもしれません。ちなみに、1967年に即位したボルキア現国王の総資産は330億ドルともいわれ、世界有数の大富豪です。

 ブルネイ王国は、もともとマレー半島やスマトラから移民したマレー系住民が中心となっており、現人口の約7割がマレー系で占められています。また、天然資源が発見される前は、基本的に海上交易を主な生業としてきたブルネイでは、古くから華人との結びつきも強く、現在人口の2割程度が華人となっています。

2.独立のいきさつは?

 さて、ブルネイの独立は1984年1月1日。2019年で35年目となる非常に新しい国なのですが、その母体となったブルネイ王国の歴史は古く、10世紀の文献にも海上交通路の要衝として登場しています。13世紀にはボルネオ島から北、フィリピンのスールー諸島、およびルソン島まで勢力を拡大しますが、14世紀にはジャワ帝国の一部となります。

 さて、東南アジアの海上交易の中心として栄えたブルネイ王国は、18世紀、この地域に進出してきたイギリスと手を結んで海賊の鎮圧を手がけましたが、その鎮圧に手柄を立てたイギリス人J.ブルックは、何を思ったかブルネイ王国南部のサラワク地方を勝手に支配して、1846年にはその土地をブルック王国として独立させてしまいます。その後イギリスは「北ボルネオ特許会社」という政治色の強い組織を通じてブルネイ王国北部の領土を租借、81年より開発に乗り出しました。ちなみに、このときブルネイ王国領として残った部分が、現在のブルネイの領土となっています。88年、上記のブルック王国と北ボルネオ特許会社領はイギリスの保護領に組み込まれ、第二次世界大戦中に日本の支配を一時期経験した後は、イギリス直轄の植民地となりました。また、わずかに残ったブルネイ王国領(現在のブルネイ)のほうも第二次世界大戦後にイギリスの保護領となり、1983年までイギリスの間接の支配を受けることになります。

 ブルネイにとって一つの転機が1963年に訪れました。57年、イギリス連邦内の独立国となったマレーシアは63年、マレーシア連邦として完全独立しますが、その時ブルネイのイギリス直轄植民地、すなわち旧ブルック王国領と北ボルネオ特許会社領の2州を東マレーシアとして連邦に統合します。その当時、イギリスの保護領だったブルネイも、マレーシア連邦の中に入ることを強く薦められたのですが、結局ブルネイは、連邦に参加することを拒否して、マレーシアとは一線を画することを決めたのです。

 理由は簡単。当時、ブルネイではすでに資源開発が始まっており、石油、ガスの開発が進んでいましたから、それをみすみすマレーシアに持っていかれてなるものかということです。それはそうだ。1984年に完全独立を達成してからのブルネイの繁栄ぶりは、前述の通りです。

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