トルクメニスタン

出典:外務省HP 

 この国は異色です。まず、大統領の支持率が普通ではありません。旧ソ連崩壊前の1990年10月に98.8%の得票数で選出されたニヤゾフ初代大統領のその後の支持率は落ちるどころか、92年の大統領選挙では得票率99.5%にあがっているのです。さらに、94年に行なわれた国民投票では、なんと99.99%の支持を得て、2002年までの任期延長が決定しました。2002年には終身大統領として2006年までに死去するまで国民の圧倒的支持を得ました。また、95年、トルクメニスタンは、スイス、オーストリアに次ぐ永世中立国として国連に認知されています。以下では、この異色の国の謎をひも解いてみましょう。

1.トルクメニスタンの歴史を教えてください。

 トルクメン人は、もともと中央アジア一帯にいたトルコ系遊牧民族のうち、最も現在のトルコ人に近い、南部語群に属する言葉を話します。トルクメン人の祖先は、11世紀のセルジューク・トルコ帝国の母体となった誇り高き民族ですが、13世紀にはモンゴルの支配を受け、14世紀にはティムール帝国の版図に組み込まれ、さらにウズベク人のヒヴァ・ハーン国、ブハラ・ハーン国などの侵攻を受けました。人口的に見ると、トルクメン人はウズベク人に次いで中央アジアでは2番目に多い民族なのですが、ヒヴァ、ブハラなどの王国を建設したウズベク人とは対照的に、一度もトルクメン人が母体となった国を持ったことがありませんでした。ちなみに、20世紀初頭のトルクメン人は、大小31の部族に別れていたということです。

 この部族集団の伝統はソ連時代にも引き継がれます。1924年の境界線画定の際、現トルクメニスタンの土地にトルクメン共和国が成立しますが、そこでも一部族が一行政単位として継続されたほか、部族連合の境界線がそのまま州の境界線となったりしていました。普通、31もの部族が分断されている領域を国としてまとめ上げることは非常に難しく、ともすると内部抗争に発展しかねないのですが、1991年10月に独立してからのトルクメニスタンで内部抗争が起こったことはなく、初代大統領が高支持率で死ぬまで平穏無事に政権を維持してきたというのは、世界広しといえども、トルクメニスタンくらいしか見当たりません。それほど不思議な国です。

 唯一納得できる説明は、人口が少ないことと、その多くがトルクメン人なので、いわゆる民族問題が起きにくいということでしょうか。何といっても、日本の1.3倍もある国土に、410万人しか住んでおらず、その72%がトルクメン人ですから、喧嘩をしても知れているかもしれませんね。

 ニヤゾフ大統領の死後、2007年には選挙で89.23%の得票率を得たベルディムハメドフ大統領が就任。現在まで安定した政権運営を続けています。それにしても、初代大統領の得票率99.99%。第二代大統領の得票率89.23%というのは、圧倒的ですね。

 外交問題として抱えているのは、国内にいるウズベク人の問題です。現在ウズベキスタンでは、周辺諸国に居住するウズベク人をウズベキスタンに統合すべきであるというナショナリストの声が強まっており、北部に集中して住んでいるウズベク人の帰属が問題化しています。

 また、永世中立国を宣言したトルクメニスタンは他の中央アジア諸国とは違い、ソ連崩壊後に出来た独立国家グループである独立国家共同体(CIS)には加盟せず、準加盟国としての立場を貫いています。また中国が立ち上げた多国間協力組織である上海協力機構にも、他の中央アジア諸国4か国が加盟する中で唯一参加していません。

2.トルクメニスタンの経済状況は良いのですか?

 今のところずば抜けて良いとは言えませんが、急成長株です。トルクメニスタンは、ウズベキスタン、タジキスタンと同様、大規模な灌漑による綿花の栽培が旧ソ連時代から行なわれており、現在でも重要な輸出産業の一つとなっていますが、やはり綿花だけで生きていくのは大変です。また、ソ連時代に開発された油田資源もありますが、生産量は年々減少。2018年の生産量は日量25.8万バレル、世界全体の0.3%と少なく、将来の有望産業としては力不足です。

 その一方で、2000年以降、カスピ海の海底に、ロシア、イラン、カタールに次ぐ世界第4位といわれる新たな天然ガス田が発見され、注目を集めました。従来トルクメニスタンはロシアを通じて天然ガスの輸出を行ってきましたが、ソ連崩壊後はロシアの影響を避けるため、別のルートを通じて天然ガスを輸出する計画を練り始めます。その一つが1997年10月に発表された、アフガニスタン経由でパキスタンに達する、全長約1500キロの天然ガスパイプラインの建設計画でした。また、同年12月にはイラン向けのガスパイプラインが完成するなど、明るい兆しは見えましたが、アフガニスタンの政情不安や諸外国の対イラン制裁などでせっかくの資源を輸出する計画は頓挫。

 そんなトルクメニスタンに歩み寄りを見せたのは中国でした。2006年、トルクメニスタンは天然ガスの中国供給に合意。トルクメニスタンからウズベキスタン、カザフスタンを経由して中国に至る中央アジア・中国パイプラインが中国資本で建設され、特に2011年以降は対中国輸出量が飛躍的に増えました。

 その一方でトルクメニスタン政府は、2003年にロシアに対する天然ガス供給を開始。中国とロシアとのバランスを取りながら、どちらかの影響に振り回されることなく、永世中立国としての経済的自立をも貫いています。

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