テロリズム

cc Michael Foran

 正式な軍隊と軍隊が戦う通常の戦争なら、双方の兵士の数と兵器の多さ、性能などが勝利への一つの判断材料となります。しかしながら、この頃の紛争やテロでは、このような簡単な方程式が通用しない状態になっています。つまり、本人がやる気なら、一人でも10万の兵を打ち負かしてしまうことができるのが現在の戦争です。普段は一般人に紛れ、いざとなると世界貿易センタービルを爆破してしまうテロ行為。このテロ行為が近年とくに増加しています。何かとターゲットになるアメリカをはじめ、これらのテロを取り締まる世界的な枠組みづくりが模索されていますが、なにしろこれらの団体は「テロ組織」という看板を掲げて活動しているわけでもなく、取締りにはかなりの困難がつきまとっています。

 テロはテロリズムの略ですが、本来、ある政治的、社会的目的を遂行するために個人や組織に対して行なわれる暴力的行為のことを指します。さて、テロは、この「政治的、社会的目的」の違いによって、民族解放テロ、国家テロ、国際テロのような分類が可能です。また、特定の思想に根差した社会改革運動が過激化した、いわば思想テロというようなテロ活動もありますし、共産主義を基本に、貧困層に支持される反政府組織も未だに健在です。以下に例をあげつつ、それぞれの分類にしたがって見ていくことにしましょう。

1.民族解放テロ

 これは、文字どおり、抑圧されている、または抑圧されたと感じる民族や集団が、自らを抑圧する者や団体に対して行なう暴力行為です。活動母体の例としては、中東のパレスチナ解放機構(PLO)、北アイルランドのアイルランド共和国軍(IRA)、スペインのバスク祖国と自由(ETA)、フランスのコルシカ民族解放戦線(FLNC)、フィリピンのモロ・イスラーム解放戦線(MILF)、スリランカのタミル・イーラム解放の虎(LTTE)、インドのジャンム・カシミール解放戦線(JKLF)、ダル・カルサ、トルコのクルド人労働党(PKK)などがあります。

 パレスチナ解放機構(PLO)は、イスラエルに土地を奪われるかたちで四散したパレスチナ人によって構成された武力組織で、とくに第二次世界大戦後から1980年代まで、イスラエル及びそれを保護するアメリカに対して数々のテロ活動を展開しました。しかしながら、93年の和平条約締結以後、自治区を与えられたパレスチナ政府は、逆にハマスと呼ばれる自治区内の過激派テロ組織の取締りに手を焼いている状況です。

 北アイルランドのアイルランド共和国軍は、英国がひいきするプロテスタント系住民に対して、カトリック系住民の権益を保護し、かつアイルランドへの併合を目的とする武力団体ですが、98年の北アイルランド和平に伴い、テロ活動の放棄を宣言しています。

 スペインのバスク祖国と自由(ETA)は、58年から、スペイン、バスク地方の独立を目標に掲げて発足した組織です。バスク人は、フランス南西部とスペイン北部にわたって住む少数民族で、スペイン政府への帰属を嫌い、最近まで独立運動を繰り広げてきましたが、最近では長引く闘争に嫌気のさした住民にETA離れの雰囲気が出てきています。その為か、98年9月には、ETA側から一方的な無期限全面停戦宣言が出され、98年に和平合意に至った北アイルランド方式の政治的解決を模索する対話が始まっています。それに呼応して、北アイルランド共和軍(IRA)の政治組織シン・フェイン党代表のジュリー・アダムズ氏が、98年10月にETA代表と会見するなどといった前向きな光景なども見られましたが活動は継続。見かねたスペイン政府は2007年から積極介入。2011年までにETAの主要メンバーの多くが逮捕され弱体化します。2016年までにはフランス南西部に逃れていた幹部の逮捕も相次ぎ、2018年、組織の解体を宣言しています。

 フランスのコルシカ民族解放戦線(FLNC)は、ナポレオンの生地として知られるフランスのコルシカ島に高度の自治権を要求する武力組織です。コルシカ島は、1768年にフランス領になりますが、地理的にイタリアに近いため、18世紀から独立運動が絶えない土地でした。そのうちの武装組織が結集して、1975年に結成されたのがFLNCです。コルシカ島の規模からいって、完全独立は難しいため、半独立、高度の自治権を要求しているのがFLNCの特徴となっています。FLNCの活動は90年11月の内部分裂のために、しばらく活動を中止していましたが、95年からテロ活動を再開。96年から97年にかけては政府機関や銀行に対して車爆弾が使用されるなどして一時は騒然としましたが、2003年にFLNCが内部分裂して以来影響力が縮小。2014年6月、突然武装闘争を放棄すると宣言しています。

 フィリピンでは、70年代に南部のイスラム教徒を中心としてモロ民族解放戦線(MNLF)が結成され、独立運動が激化していきます。72年にはフィリピン政府軍との直接衝突が始まり(ミンダナオ内戦)ました。75年にはフィリピン中央政府と自治をめぐる交渉が始まり、76年にはMNLFを支援するリビアの仲介で和平協定(トリポリ協定)が結ばれました。

 80年代にはモロ民族解放戦線が分裂。モロ民族解放戦線派(ミスアリ派)、同改革派(プンダトゥ派)、モロ・イスラーム解放戦線(MILF)が、それぞれの立場で闘争を継続する形となりましたが、96年、ラモス政権とモロ民族解放戦線派が和平交渉を締結し、その後しばらくは小康状態を保っていました。しかしながら、モロ・イスラーム解放戦線(MILF)を中心に、96年の和平協定に参加しなかった一派が99年に軍事行動を起こし、数回にわたってフィリピン国軍と交戦状態になりました。2014年に政府と包括和平協定を結びますが、翌年には再び国家警察特殊部隊との戦闘が勃発するなど、フィリピン南部の分離独立運動の火は、いまだにくすぶっているのです。

 スリランカのタミル・イーラム解放の虎(LTTE)は、人口の4分の3を占めるシンハラ人の社会的、政治的抑圧を受けたタミル人の独立運動で、76年より活動を開始しています。LTTEは、反政府というより、タミル人を排斥して、「シンハラ・オンリー」というスローガンを掲げたシンハラ人の差別、虐待に対する防衛組織としての性格が強く、とくに83年に起こったタミル人大量虐殺事件(7月暴動)以後は、LTTEの武装集団的な性格がはっきりとしてきます。

 以後、スリランカではタミル分離派の支配する北と、シンハリ派の南という二つの地域に分断され、内戦が激化しました。インド政府による87年の和平調停案とインド平和維持軍の受け入れも、武力解放闘争の停止を拒むタミル派によって拒否されます。以後スリランカ政府はLTTEに対して容赦ない軍事行動を続け、2009年、LTTE側が敗北宣言を出して対立は終結しました。

 インドのテロ組織には、カシミールの分離独立を要求するジャンム・カシミール解放戦線(JKLF)や、シーク教徒の過激派組織であるダル・カルサ等があります。双方ともヒンドゥー教徒が政治、経済、社会の実権を握るインドから、イスラム教徒やシーク教徒の権益を守るという目的で分離独立を要求する過激派組織です。このうちダル・カルサは、78年に結成されたシーク教徒の分離独立武装組織で、主な活動はパンジャブ州。しかしながら、彼らの攻撃目標は、インド政府やヒンドゥー教徒に限らず、穏健派のシーク教徒にも及んでおり、テロの内容も無差別爆弾攻撃など、一般市民を巻き添えにするものが多いため、一般住民からのサポートはあまりありません。

 一方のジャンム・カシミール解放戦線(JKLF)は、ヒンドゥー教徒が支配するインドからイスラム教徒の権限を守り、パキスタンへの統合を目標とする武装集団として、1965年に結成されましたが、77年以降はパキスタンからの分離も要求する分離独立運動となりました。94年には内部分裂から、パキスタンを本拠地とするヤシン・マリク派が武装闘争の放棄を宣言する一方で、インドを本拠地とするアマヌッラー・カーン派はあくまでも武装闘争でカシミールの分離独立を目指す意思を表明。2003年には改めて武装闘争の継続を宣言しています。

 国家を持たないクルド人は、現在トルコ、イラン、イラク、シリア、トルクメニスタンなどに散らばって住んでいますが、クルド人の人口が集中しているトルコで、クルド人独立運動を展開しているのがクルド人労働党(PKK)です。PKKに対するトルコ軍の攻撃は執拗で、イラク国境を越えてイラク領内に居住するクルド人に対する攻撃も繰り返し行なわれて来ました。ところが、2012年から本格化するシリア内戦とイスラム国との戦いでは、シリア国内のシリア・クルド民主統一党(PYD)とイラク国内のクルド人組織であるペシュメルガを、アメリカを筆頭とする有志連合が軍事支援するという事態になりました。これらのクルド人組織は、もちろんトルコ国内のクルド人組織であるPKKと密接な関係があるわけですから、トルコ政府がテロ組織として指定するクルド人組織を、アメリカやロシアが支援するという事態となったわけです。

 中央アジアに目を移すと、1991年に独立したタジキスタンでは、独立後もロシア共産党勢力が政治の中枢を握り続け、独立直後から真の独立を求める反体制派の活動が活発化していました。92年にはこの対立が武力衝突に発展。政府側は93年、イスラム武力勢力を戦闘で封じ込め、全土を掌握することに成功しますが、95年にはアフガニスタンに集結した反政府イスラム勢力と、駐留ロシア軍との間で戦闘が再開されます。1996年12月にラフモノフ大統領と反政府勢力「タジク反対派連合(UTO)」の代表ヌリ氏が停戦交渉を開始。モスクワでの和平協定および「民族和解委員会に関する議定署」を署名して、97年6月には最終和平合意となる「一般協定」が締結されました。ちなみにこの過程で国連タジキスタン監視団に派遣されていた秋野豊さんが武装集団の銃撃を受け殉職されています。2000年以降国連タジキスタン平和構築事務所が復興を支援しています。

 以上のように、民族解放テロは、国家のほうからするとテロ行為にあたりますが、やっている本人にしてみれば理由のある政治活動といったものが多く、IRAやPLOなど、独立、または自治という目的を達成すれば自然に消滅するといった性格を持っていますし、クルド人組織のように複数の国の利害関係が絡む地域で活動する組織の中には、一方の国でテロ組織の指定を受けながら、他方の国では正当な独立運動として支援の対象となっているものもあります。

2.国家テロ

 民族解放テロが、一般に政治、経済、社会的に追いつめられた弱者によって構成されているのに対し、国家テロは、国家がテロリズムを支援する場合のことを指します。現在までにテロ国家の烙印を押されたのはリビアのみ(1986年の東京サミット宣言)ですが、アメリカ議会は独自にテロ国家のリストを持っており、その中にはイラン、スーダン、シリア、北朝鮮が入っています(2020年時点)。一般に、テロ国家は、その外交目標達成のためにテロ組織に対して資金、武器、情報、訓練などを提供するのを常としていますが、本当に国家がらみでテロを支援しているのか、または国家から離れた過激組織がテロ組織を支援しているのかを見極めることは困難で、国家テロという言葉は、実際の組織に対する取締りというよりは、かなり政治的な駆け引きで使われることが多いようです。

3.国際テロ

 これは、あるテロ組織の活動が国境を越えて展開される場合を指します。代表的な例としては1980年代以降活性化したドイツ赤軍派(RAF)、フランスのアクション・ディレクト(AD)、イタリアの赤い旅団(BR)等があります。これらの活動の特徴としてあげられるのは、国境を越えたテロの連帯運動という点で、ターゲットは各グループ共通の敵である、個人、国家、外国の施設や飛行機などの運搬手段です。上記のグループは、共産主義崩壊後に生き残りをかけた極左グループが主な母体となっていますが、昨今はドイツのネオ・ナチズムやフランスの国民戦線(FN)などに代表されるように、極右グループの台頭も問題になっています。

4.思想グループ

 このグループが、もっとも把握の難しいグループです。中東のイスラム原理主義組織や、キリスト教原理主義組織、はたまた日本のオウム真理教など、思想的背景から組織される集団は、どこまでが宗教でどこからが政治組織かという境界線が見えにくく、放っておくと危険だし、かといって取り締まれば信教の自由の束縛になるという、非常に難しい問題を抱えています。

 1998年には、イスラム原理主義活動の黒幕と目される、サウジアラビアの金持ち、オサマ・ビン・ラーディン氏の存在がにわかに注目を集めました。同氏は、アフガニスタンやスーダンにおける拠点で、世界各国の原理主義組織に対する人的、資金的支援を行ない、98年8月にケニアとタンザニアで起きた米国大使館爆破事件に関わりました。同月、アメリカはアフガニスタンとスーダンにある、同氏の拠点と目される施設にミサイル攻撃を加えるという荒療治を実行。今後、あらゆるテロ活動には、力を持って臨むという姿勢を明らかにしましたが、2001年9月11日にはアメリカで同時多発テロが発生。オサマ・ビン・ラーディンは、その首謀者とされましたが、10年間以上行方を特定できないまま、最終的に2011年5月2日、パキスタンでアメリカ軍によって殺害されました。

 アメリカ軍撤退後のイラクで発生したイスラム国も、狂信的な思想集団がもととなった軍事テロ組織です。残忍で抑圧的な手法でイラクとシリアにまたがる地域の支配を試みましたが、2019年10月26日、最高指導者のアル・バグダーディーがアメリカ軍の特殊部隊に殺害され、活動が著しく縮小しました。

 このように、思想グループの活動を補足することは非常に困難で、今後はいつどこでどのようなテロ行為が発生するのか、まったく予断を許さない状況です。

5.共産主義崩れのテロ組織

 このほかに、民族とはいえないが、社会の底辺層が組織する抵抗運動が、戦術的にテロ行為を使う場合もあります。たとえば、南米コロンビアのコロンビア革命軍(FARC)は、土地所有者と、借地農との極端な不平等を不服とする農民が集まって1958年にできた、コロンビア共産党に軍事部門で、96年にはコロンビア政府軍の軍事基地を攻撃。ほとんど壊滅状態に陥れた事件は有名です。彼らの資金源はコカインの密売で、現在その主な輸出先であるアメリカとの確執が続いています。

 また同じコロンビアで共産主義的社会の実現を目指す民族解放軍(ELN)も、反資本主義農地改革を目標に掲げ、キューバの支援を受けて64年に組織されたものです。彼らの活動は、多国籍企業が敷設した石油パイプラインの爆破や資本家の誘拐などで、現在までに多大な被害が出ています。

 ペルーには、共産党組織のセンデロ・ルミソノ(PCP)とトゥパク・アマル革命運動(MRTA)という二大テロ組織がありますが、後者は97年末から98年にかけて現地日本大使館を占拠したことでご記憶のかたも多いでしょう。前者は、別名「アンデスのポルポト」とも呼ばれる、徹底的な共産主義組織です。この組織の資金源もコカイン密売ですが、1990年のフジモリ大統領就任以来、2000年までにあらゆるテロ組織を撲滅するという目標のもとこれらテロ組織に対する取締りが急激に強まり、組織は壊滅状態にあります。

 以上、共産主義の末裔ともいえるテロ組織が、主に南米を中心に点在しているわけですが、資金源が麻薬、ターゲットが西側資本主義という、これら厄介者の撲滅には各国政府がほとほと手を焼いているといった状況です。結局、これらの活動を支持する層の大部分は、貧困層であることから、貧困対策が最も有効なテロ解決策ともいえるのでしょう。

6.イスラム原理主義とは

 神の前の万人の平等を主張し、「いかなる王も認めない」とするイスラム教は、すべての権力構造を否定してきましたから、キリスト教のようにピラミッド型の教会体制もできませんでしたし、国家の権力と結びつくこともありませんでした。さらに中東で国家の体裁が整いだすのが第一次大戦以降であったことからもわかるように、イスラム教の中には「国家」の概念が乏しく、もともと国家権力の「看板」としては使われにくい宗教だったのです。ここまでは仏教の性質と似ていますが、なにしろ唯一絶対神がいますから、この後の展開が違います。

 さて、近代になって西欧諸国とイスラム世界との差は、政治的にも経済的にも歴然としてきますが、そもそも教義的にキリスト教より「優位」にあるはずのイスラム世界が近代文明から取り残され、西欧文明に飲み込まれていくのは、我々がイスラムの教えに反する行動をしているか、もしくは西欧文明自体が「悪」なのかどっちかだという考えがイスラム教徒の中から出てきます。つまり、神が人類に最後の預言を与えるためにムハンマドを遣わせたのだから、ムハンマドの教えは、非の打ちどころのない「完成品」であり、物事がうまくいかなかったり、世の中が乱れたりするのは、「完成品」に背いた行動をとるからだというわけです。そこで出てきたのが「イスラムの原点に帰ろう」という運動、いわゆるイスラム原理主義運動でした。

 この原理主義運動は、現行の政治、社会に不満を持つ貧困層や若年層によって支えられており、その行動も直接的、過激的なものを主体とする社会変革運動といった傾向がありますが、自分より他人を責めるのが世の常。イスラム原理主義運動は、次第に反米、反イスラエル、反西欧主義等、イスラム社会を政治的、経済的に脅かすものに対する行動が主体になっていきます。つまり、これら原理主義運動のグループが、中東その他におけるテロ活動の温床になってきているわけです。

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