セネガル共和国
出典:外務省HP
1.超安定国家の民族問題
パリ・ダカールラリーでおなじみのセネガルは、フランスの植民地として1890年以降体裁が整い、1895年にフランス領西アフリカ植民地として統治されます。1902年には首都がダカールに移転し、以後、セネガルはフランス領西アフリカの中心地として栄えます。1958年にフランスの自治共和国となったセネガルは、1960年、現在のマリと合同でマリ連邦として独立しますが、指導者の意見が合わず、二ヵ月後に平和裏に分離。改めてセネガル共和国として独立します。
セネガルは独立以来、サンゴール大統領とその後継者であるディウフ大統領(1981年~2000年)の社会党政権コンビが、きわめて安定的に内政を維持。1982年には隣国のガンビアと合併して、セネガンビア国家連邦を発足させるなどの冒険も行われます(同連邦は89年、両国の同意により解体)。ディウフ大統領は2000年までの長期政権を維持しますが、国民に飽きられ、2000年3月の大統領選挙ではワッド候補が当選。初めての政権交替が平和裏に行われました。ワッド大統領はそれから2012年の大統領選挙でマッキー・サル候補に破られるまで、長期にわたる安定政権を維持しました。
ということで、セネガル自体に不安定要因はないのですが、80年代初めからセネガル南部のカザマンス地方の分離独立運動が激化しており、懸念材料の一つとなっています。カザマンス地方は、東西に細長い国土を持つガンビアによって隔てられた土地ですが、この地域に住む住民は北部の大半を占めるイスラム教徒とは異なり、キリスト教や伝統宗教を信仰するものが多く、セネガルの中央政府には懐疑的です。80年代に勢いを増した独立の動きは、カザマンス分離独立運動(MFDC)として継続されています。93年にはセネガル政府との間で停戦協定が成立しますが、95年には再びMFDCと政府軍との間で武力衝突が発生します。97年には軍によるMFDC掃討作戦により、独立運動は壊滅的被害を受けました。99年12月には、両者間で暴力行為の停止に関する合意がなされましたが、散発的にゲリラ活動が発生しており、全面解決には至っていません。