スリナム共和国

出典:外務省HP 

1.スリナムの歴史と現状を教えてください。

 スリナムは、1667年、米国のニューヨークと交換してオランダが手に入れた土地として有名です。もちろん、当時の交渉相手はイギリス。16世紀から17世紀にかけて、新大陸に関しては新参者だったイギリスとオランダは、スペインやポルトガルの影響を受けていない南米大陸東北部の領有権を争ってきましたが、ロシアがアメリカにアラスカを売ったり、オランダがNYと交換にスリナムを手に入れたり、当時は今からでは考えられない土地の交換をやったものですね。

 イギリスとオランダの領有権争いは、以後も続くのですが、1814年にイギリスがガイアナの領有を、翌年にオランダがスリナムの領有を最終確認して一件落着。スリナムは、以後160年間、オランダ領として安定した社会を築き上げます。

 スリナムでは植民地化された当初からアフリカの黒人労働者による砂糖産業が奨励され、1863年の奴隷廃止令以降は、インドからの労働者を受け入れたことはガイアナと同様ですが、オランダ領インドネシア(ジャワ)からも労働者を受け入れた点は、若干ガイアナと状況が違うところでしょう。砂糖産業が停滞した後、これらのアジア系労働者は、米や果物の生産に従事し、これらが、現在スリナムの輸出産品にもなっています。

 第二次世界大戦後、スリナムではボーキサイト、アルミ、アルミナなどの鉱工業が盛んになり、現在ではそれらが輸出額のほとんどを占めています。

 さて、1970年代まで非常に穏やかな政情を続けてきたスリナムでしたが、1973年の総選挙で、黒人系とジャワ系の連立政党が政権を取り、現状維持を目指すインド系政党の政策を180度転換。即時独立要求をオランダ政府に付きつけます。オランダ政府はこの要求をさっさと飲んで、1975年、スリナムは独立をするのですが、そのとき、政府の弾圧を恐れたインド系住民がオランダに大量亡命。また、ジャワ系政党も政権を離脱して、おまけにオランダからの経済援助も独立によって停止されたため、経済は停滞し、政治は困惑を極めました。

 そんな中、1980年にボータッセ氏がクーデターで実権を握り、反政府主義者の徹底した弾圧を開始します。88年には一度民政に復帰したスリナムでしたが、以後スリナムは5政党のきわどいバランスの上に政権を築いています。経済的にも他の中南米諸国と同様高度のインフレと財政危機に悩んでいます。対外的にスリナムは、ガイアナおよび仏領ギアナとの国境問題を抱えています。

 独立も、良く考えてから行動しないと、苦しい結果を招くことがありますね。 

戻る