キルギス共和国
出典:外務省HP
キルギス人の間には、こんな伝説があるそうです。むかしむかし、肉の好きな山の民と魚が好きな海の民がキルギスにいた。山の民はキルギスに残って現在のキルギス人となり、海の民は遠く西に移動して、日本人になったという言い伝えです。まゆつばものですが、すてきな伝説ですね。実際、日本をはじめとして、西欧の民主化、市場経済原理の導入を、中央アジアで一番熱心に受け入れているのがキルギスでした。勉強熱心なところは日本人に似ているかも。以下ではキルギスの歴史と現状を見ていきましょう。
1.キルギス共和国の歴史を教えてください。
キルギス人は、正式にはクルグズ人というのだそうです。トルコ系遊牧民族として、主に現在のキルギスがある天山山系の西部を活動の場としていました。イスラム化したのは歴史が浅く、せいぜい18世紀といったところのようです。現在でもイスラムというよりは先祖崇拝やアニミズムといった原始宗教が根強く残っています。
もともと定住民族があまりいなかったという土地柄から(定住民が増えたのは1930年のソ連の定住政策以後のこと)、19世紀前半に、ウズベク人のコーカンド・ハーン国に編入、19世紀後半にはロシアの支配を受けるなど、長く他民族の支配を経験しました。したがって、キルギス人の言語、習慣は、カザフ人の影響を受ける北部と、ウズベク人の影響が色濃い南部とではかなり違ったものとなっています。
さて、キルギスほどその名称が変わった国もないでしょう。1924年に中央アジアの境界線が画定された時、キルギスは「カラ・キルギス自治州」としてロシア共和国の一部となりましたが、翌年には「キルギス自治州」に改称。その次の年には「キルギス自治共和国」となり、最終的に36年に「キルギス共和国」に昇格した後は、半世紀名前が変わらなかったのですが、ソ連末期の1990年には「クルグズスタン(キルギスタン)共和国」に改称。91年に独立を果たしますが、93年にはまた国名を「キルギス共和国」に変更して現在に至っています。とにかく「キルギス」という部分は変わっていないので、これからはキルギスと呼んでおくのが無難でしょう。
2.「チューリップ革命」とは?
前述の通り、キルギスの北部と南部では言語や習慣が異なっており、それが原因で民族対立に発展したことがあります。キルギスは、キルギス人が52%、次いでロシア人が21.5%、第3位にウズベク人が13%を占め、その他少数ながらウクライナ人やドイツ人がいるという多民族国家です。独立前の89年にはタジキスタン国境で、土地と水の利用件をめぐるタジク人との抗争が発生しましたし、90年にはキルギスのオシュ市の郊外で住宅用地の取得をめぐる紛争がウズベク人との間で起きています。オシュ事件と呼ばれるこの暴動は、600人を超える死者、行方不明者が出るほどの大惨事となりました。
キルギスと同じく1991年に独立した隣国ウズベキスタンでは、周辺諸国に散らばって生活をしているウズベク人をウズベキスタンに併合して行こうというウズベク民族主義の動きが活発になりますが、これが飛び火して、キルギス内にいるウズベク人問題に再び火が付きます。1999年には「ウズベキスタン・イスラーム運動」のゲリラがキルギス南部に侵入。現地で調査を行っていた日本人の鉱山技師4名と通訳が拉致される事件(後日無事解放)が発生しました。キルギス国内のウズベク人問題は、民族対立の懸念材料としてまだくすぶり続けているのが実情です。
さて、話を戻して1990年、オシュ事件の責任を取るかたちで辞任したマサリエフ大統領の後を継いだのが、学者出身のアカエフ大統領でした。アカエフ大統領は、従来の一院制議会を94年に解散。国民投票を通じて二院議会制度を導入して95年の選挙で再選されますが、2003年には二院制を再び一院制に戻す憲法改正を実施。これにより再び議会選挙が行われるのですが、この選挙でアカエフ大統領側の不正が発覚。強権的なアカエフ大統領の退陣を求めた反政府運動が南部から全国へ拡大します。
「チューリップ革命」と呼ばれるこの民衆運動によってアカエフ大統領は国外に逃亡。2005年にはバキエフ大統領が選出されました。ちなみに「チューリップ革命」は、当初「ピンクの革命」、「絹の革命」、「スイセンの革命」など、様々な呼び方で報道されましたが、最終的にはキルギスを代表する花であるチューリップが定着したそうです。チェコスロバキアのビロード革命、グルジアのバラ革命、ウクライナのオレンジ革命などとともに、暴力を伴わない革命の一つとして注目を集めました。
3.キルギスの経済状況を教えてください。
キルギスでは他の中央アジアの国のように石油や天然ガスは産出していませんから、独立後の経済発展は非常に限定的なものでした。一人当たりのGDPは、2018年現在で192か国中163位。世界銀行の定義では、限りなく低」所得国に近い「低・中所得国」の部類に入ります。
一方、独立以来日本による経済支援を筆頭に、IMFや世界銀行などの協力を得つつ、中央アジア諸国の中では唯一積極的に市場経済システムの導入に力を入れて来たキルギス経済は徐々に向上しており、95年には独立後初めてGDP成長率がプラスになりました。
97年には農業生産が回復。また外資導入で進められて来た金鉱山の開発が軌道に乗ってきました。独立前、旧ソ連時代に発見された金鉱山が細々と生産を続けて来たキルギスでしたが、独立後に新しい金鉱山が東部で発見され、カナダ資本の参入により97年から生産を開始すると生産量が10倍近くに増加。GDPは、旧ソ連諸国の中で最も高い10.4%の伸び率となりました。金の生産は現在、キルギス経済を支える屋台骨となっています。
4.最近の状況は?
独立以来、徐々に経済が上向いているとはいえ、まだ世界の中では低所得国に限りなく近い地位に甘んじているキルギスでは、「チューリップ革命」後に選出されたバキエフ大統領に対する失望感と、一向に向上しない生活を苦に反政府運動が多発。2010年には大統領府が野党勢力によって占拠されます。バキエフ大統領は国外に逃亡しますが、この暴動は「チューリップ革命」のようにはいかず、武力衝突で多くの死者と負傷者がでました。
2011年の大統領選挙によってアタンバエフ氏が選出され、2012年に就任。2017年には後継者のジェーンベコフ氏が第5代大統領に就任しています。