キプロス共和国

出典:外務省HP

1.ギリシャとトルコの代理戦争

 キプロスが中東の範疇で語られることに対しては、絶対キプロスの人に怒られると思いますが、トルコと重要な歴史的関係があるので、ここで見ていきましょう。

 隣り合わせの国は仲が悪いというのは、国際関係の常識のようなものですが、ギリシャとトルコは筋金入りです。古代ギリシャの栄光以来、非常に気位の高いギリシャ人は、中央アジアから来た田舎者のトルコに対しては、異常なくらい嫌悪感を持っていたのですが、15世紀には、そのトルコの支配下に入ってしまいます。以来長い間オスマン・トルコ帝国の支配下にあったギリシャは、1821年から9年間にわたって繰り広げられたギリシャ独立戦争で、トルコの支配を離脱。1830年に念願の独立を達成するわけですが、それ以来、トルコとの間には問題が絶えないのです。

 というのも、独立以後のギリシャは、メガリ・イデアという、ギリシャ民族統合国家の建設に燃え、1896年のクレタ島を手始めに、マケドニア、エーゲ海諸島などを手中に収めるために、近隣諸国と軋轢を繰り返すようになったからです。1912年にはトルコ領内にあるギリシャ人居住区を併合しようと、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアと組んで、トルコに戦争をふっかけます(バルカン戦争)。この戦争で、トルコはバルカン半島の大部分から撤退しますが、その後のバルカン半島の政情は不安定化して、第一次世界大戦を誘発する原因になったのです。

 第一次世界大戦で連合国側に付いたギリシャは、トルコのアナトリア地方の割譲を参戦の条件としていましたから、第一次大戦後の1919年、ギリシャ軍はトルコに進軍して、同地区の併合を試みますが、結局トルコ軍に大敗してしまいます(トルコ・ギリシャ戦争:1919~22)。ギリシャとトルコの確執は、それ以後も続き、特に第二次世界大戦以後は、キプロス問題として表面化するようになります。

2.独立後の民族差別的政策が内戦を誘発

 キプロスは、1571年にオスマン・トルコ帝国の領土になりますが、オスマン・トルコは、キプロス住民に対して寛容と不干渉の姿勢で臨んだため、20世紀に入るまで、これといった独立運動も、抵抗運動もありませんでした。

 ところが、1877年の露土戦争でトルコが敗れたのを機に、イギリスが東地中海に進出。1878年にキプロスの行政権を掌握します。さらに第一次世界大戦中の1914年にキプロスを併合したイギリスは、25年にキプロスを植民地化することに成功します。19世紀の中頃に完成したスエズ運河経由でインドへの道を確保したかったイギリスは、東地中海に浮かぶキプロス島を中継地として活用しようとしたわけです。

 このイギリスの支配に対し、キプロスの独立運動が巻き起こるわけですが、当然キプロスの住民達の力だけでは、大英帝国に歯がたちません。そこで、キプロスのギリシャ系住民は、「ギリシャとの統合」を旗印に、イギリスに対するテロ活動を始めるのです。

 驚いたのはトルコ側。独立は構わないが、「ギリシャとの統合」とはいかがなものか。ここは、話し合いで穏便に。ということで、1959年、イギリス、ギリシャ、トルコの三者は、キプロス独立を承認。翌1960年にキプロス共和国が建国される事になったわけです。

 大変なのはこれからでした。ギリシャ系住民が77%をしめるキプロスでは、独立紛争以来、ギリシャに対する帰属意識が強まっていましたが、それと同時に、ギリシャの宿敵トルコに対する憎悪感も次第に表面化。63年にはトルコ系住民(18%強)の権利を制限するという、差別的な憲法を導入しようとしました。これを聞いたトルコ系住民は、そんなことなら独立したほうがましだというわけで、分離独立を要求。キプロスは内戦に突入するわけです。

 キプロス内戦は、ギリシャ、トルコ両国の参加も手伝って拡大。北のトルコ系住民地区と、南のギリシャ系住民地区は、完全に分断されて現在に至っています。1983年には、トルコ系住民が一方的に「北キプロス・トルコ共和国」の独立を宣言しましたが、これは国際的な認可が下りていません。96年8月にはギリシャ系、トルコ系住民の衝突が再発し、予断の許さない状況になりました。

 結局キプロス紛争はギリシャとトルコのケンカが収まらないうちは、終結が難しいわけですが、ギリシャ、トルコ関係は96年1月、エーゲ海に浮かぶ、「岩礁」の所有権をめぐって、軍事衝突の一歩手前までいって以来、最悪の時期を脱して、現在かなり好転して来ています。きっかけは99年に起きたトルコ北西部大地震でした。このときギリシャの援助隊がトルコ内で活動し、好印象を与えました。その1ヵ月後にアテネで震災が起こった際、今度はトルコの救援隊が活動を展開して、関係が大幅に改善したのです。まさに地震が取り持つ仲。

 ギリシャのパパンドレウ外相は2000年にトルコを62年ぶりに公式訪問。両国は観光や環境、投資相互促進・保護、テロ・組織犯罪などの対策に関する4協定に調印。ギリシャはトルコのEU加盟反対も撤回しました。また2017年にはトルコのエルドアン大統領が、国家元首としては65年ぶりにギリシャを訪問。今後、キプロス問題も話し合いで穏便に解決していけそうな雰囲気になっています。なお、国連は1964年以来、国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)を派遣して、ギリシャ側とトルコ側の「国境」地帯の平和維持にあたっています。

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