ガイアナ共和国
出典:外務省HP
1.ガイアナの歴史を教えてください。
1781年までオランダ西インド会社の支配下にあったガイアナは、以後イギリスとオランダの抗争で、次々と支配者が入れ替わりますが、1814年に最終的にイギリス領に編入されます。イギリスの目当ては、もちろん、当時世界的に需要の増していた砂糖でしたが、19世紀末には、すでに砂糖産業の中心はキューバなどのカリブ海諸国に移っていて、ガイアナの砂糖産業は停滞期を迎えました。
ガイアナの砂糖産業は、主にアフリカの黒人奴隷が支えてきましたが、1834年にイギリス本国で奴隷解放令が発布されると、当時イギリス植民地だったインドからの労働力の流入が相次ぎました。
さて、1953年に普通選挙法が導入され、同国初の選挙が行われましたが、ここでは、インド系のジャガン氏が政権をとりました。ジャガン氏は、ガイアナの独立と産業の国有化などを目指す、社会主義政策を掲げていましたから、一時イギリスとの緊張関係に発展しました。一方、穏健派黒人系の政治団体が55年に組織されたことを契機に、インド系住民と黒人系住民との人種対立が表面化して、62年には大規模な黒人の反乱が起こり、インド系のジャガン派は、テロでこれに応酬します。
結局64年に行われた選挙で、黒人系のバーナム政権が選出され、その下で1966年、ガイアナはイギリス連邦の自治領として独立を果たします。1970年には社会主義の実現を目指す共和制に移行して、国名も一時ガイアナ協同共和国と改名。中国系のチュン大統領が初代大統領に選出されます。
1980年に再び大統領となったバーナム氏は、社会主義寄りの政策を続けましたが、85年に急死。同年、先進国寄りの政策に転向した後継者のホイト大統領が政権を担いますが、社会主義国家の建設を目指したバーナム大統領の政策を改めて外資の導入を進めるなど、より開放的な経済政策に転換して、現在のグレンジャー政権に引き継がれています。
2.ガイアナの現状は?
ガイアナでは砂糖産業のほかにボーキサイトの輸出が長く国の基幹産業となってきましたが、2015年には沖合で世界有数の巨大油田が発見され、2019年現在エクソンモービルが生産を開始しています。これが人口80万人の同国経済に及ぼす影響は大きく、IMFは2020年の経済成長率を86%。2024年までには400%と見積もっていて、ガイアナが突如南米最貧国からもっとも豊かな国に化ける可能性が出てきました。
社会的にはインド・パキスタン系対アフリカ黒人系という人種対立が、また対外的には、ベネズエラとの国境問題が未解決のままで残っています。ちなみにガイアナは、ギアナの英語読みです。