オマーン国

出典:外務省HP

1.オマーンの歴史を簡単に教えて下さい。

 オマーンは7世紀からペルシャ湾とアラビア海、インド洋を結ぶ貿易の拠点として栄えるとともに、古くは香料の生産地として知られていました。古代エジプトでは、火葬が一般的で、高貴な人の葬儀には香料を焚く必要がありました。また、ミイラ作りの為にも香料が必要で、このため、オマーン南部で産出するミルラ(没薬)、フランクインセンス(乳香)などの木系の香料がもてはやされたのです。ちなみに、イエスの生誕の際に訪れた東方の三博士の貢物は、金とミルラ(没薬)、フランクインセンス(乳香)でしたから、この時代からオマーンや更に南方のイエメンの香料貿易は盛んだったことがわかります。

 さて、オマーンでもうひとつ有名なのが奴隷貿易です。湾岸諸国には、アラブ人とは異質の、非常に色の濃い人を見かけますが、彼らはかつてアフリカ東岸から「奴隷」としてアラビアに売られた人達の末裔です。まあ、奴隷といっても、現代風にいえば移民労働者的なものですが、その仲介を受け持ったのが海洋国家オマーンだったのです。

 オマーンの支配は17世紀に東アフリカ沿岸地域にも及び、1698年にはアフリカのザンジバル諸島のポルトガル勢力を一掃して本拠地を構え、オマーンは奴隷、香辛料や象牙の貿易で繁栄しました。1832年にはオマーンの首都がザンジバルに遷都され、海洋国家オマーンの絶頂期が訪れます。

 ところで、当時、オマーンはザンジバル王国の王子を、間違えて捉えて、奴隷としてアラビアに売ってしまったこともあったようです。その王子は苦難の末にザンジバルに帰ったのですが、その間に経験したことを書き残していて、今ではオマーンならびに湾岸アラブの歴史研究資料として重要な位置をしめているそうです。

 さて、オマーンの繁栄は長続きしませんでした。産業革命についていけなかったからです。19世紀までの海上交通の手段は帆船(ダウ船)で、オマーンをはじめとするアラビア半島で広く用いられていましたが、19世紀に蒸気船が発明されると、インド貿易の航路はアラビア半島を巡るコースから、インド洋を直接横切るコースへと変化します。海洋貿易で繁栄していたオマーンは、これにより中継基地としての立場を失い、急速に衰弱します。

 1856年に当時のサイード国王が死去すると、国はザンジバルとオマーン本土で分裂。ザンジバルは1890年にイギリスの侵攻により保護領化。1896年には「世界史上最も短い戦争」とギネスブックにも登録されるイギリス・ザンジバル戦争で、オマーン国のスルタンの地位ははく奪されます。戦闘時間は37分23秒だったそうです。

 オマーン本土も、1891年にイギリスの保護領となりますが、その後宗教指導者の支配する内陸部と国王支配の沿岸部との抗争が長い間続きました。1959年には国王が全土と全権を掌握。その後南部でドファールの反乱と呼ばれる内乱を経験しますが、1970年にカーブース・サイード皇太子が父親であるサイード国王を追放して国王に即位。翌年にはイギリスからの独立も果たして、国名もマスカット・オマーンからオマーン国に改称して、非常に安定した国家運営を続けて現在に至っています。

 ちなみに、オマーンの宗教は、一応イスラム教なのですが、そのほとんどがスンニー派やシーア派に属する他の地域と違って、スンニー派も、シーア派も否定するイバード派という分派です。イバード派は、オマーンや北アフリカのごく一部以外ではあまり見当たらない宗派なのですが、教義は穏健で、逆にイスラム原理主義過激派が台頭することを非常に警戒している国の一つです。

2.日本との深いつながりとは?

 さて、1913年に即位したスルタン・タイムールは、退位後の1935年に神戸を訪れますが、そこで知り合った大山清子さんと恋に落ち結婚。そのまま神戸で生活を続け、5男1女をもうけますが、1970年に長男のサイードが第12代国王として即位。その子のカーブースが13代国王、四男の子のハイサムも2020年に第14代国王に即位していますので、日本とのかかわりはかなり強いのではないでしょうか。

3.今後心配される問題点はありますか?

 オマーンの石油埋蔵量は現在世界22位で、天然ガスも存在しますが、可採年数が15年とされており、大規模な投資が進んでいない状況です。

 ホルムズ海峡を抑えるという戦略的な位置にあるオマーンは、80年に米国と防衛協定を締結。米国の軍事・経済援助と引き換えにオマーンの基地使用を許可する体制が現在まで続いています。また、カタールと並んで、中東諸国では数少ないイスラエルとの国交を持つ国として有名でしたが、パレスチナ自治区に対するイスラエルの軍事攻撃に抗議して、2000年末に、イスラエル貿易事務所を閉鎖しています。また、親米国家であるにもかかわらず、イランとも良好な関係を保っています。

 これほどの政治的バランスを保つことが出来るのは、やはりカーブース前国王の能力に負うところが大きかったのでしょう。カーブース前国王が独身で子供がいなかったため、後継者には異母兄弟のハイサム国王が継承していますが、前国王と同じく日本人のおばあちゃんを持つ新国王が国家の安定のために貢献されることを願います。

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