カタール国

出典:外務省HP

1.カタールの歴史を簡単に教えて下さい。

 サッカーファンにはお馴染みの「ドーハの悲劇」の舞台がカタールです。また2022年のFIFAサッカーワールドカップの開催国もカタールです。最近では2019年に世界陸上競技会が開催されたことでも有名です。今日、いろんな場面でカタールという国名を聞く機会が増えているような気がしませんか。

 カタールに首長国が成立したのが1760年代、アラビア半島東岸部にいた一部族がカタール半島に移動した時にさかのぼりますが、1872年にはオスマン・トルコ軍が進駐してトルコ領になります。第一次世界大戦初期にイギリスが進出してカタールの独立を認めさせた上で、1916年にイギリスの保護領となります。

 さて、68年にイギリス軍がスエズ以東からの撤退を表明した際、同じくイギリスの保護領だったバハレーン、アラブ首長国連邦と合併して連邦を作る構想がイギリス政府から出されたのですが、結局当時産油国だったバハレーンとその他との折り合いがつかず合併ばなしは頓挫。カタールは湾岸首長国との連邦国家結成構想にも加わらず、71年にサーニー家のアハマド首長を元首とする首長国家として単独独立することになります。

 翌72年、アハマド首長の不在中にいとこのハリファ首長が無血宮廷クーデターで実権を掌握しますが、95年、ハリファ首長の外遊中に息子のハマド皇太子が無血宮廷クーデターを起こして首長に就任。ハマド首長とハリファ前首長は1997年、パリで会談して和解しましたが、どうもこの国では、首長が外遊するときが政権交代の時のようですね。

 カタールからバーレーンにかけたアラビア湾沿岸 の伝統的な産業は天然真珠でしたが、1893年、日本の御木本幸吉が世界初の真珠の養殖を成功させ、人工真珠が世界市場を席巻したため、カタールの真珠産業は消滅します。そんなカタールに希望の光が見えたのが石油の発見です。1930年に発見された油田は1948年から生産が始まりますが、残念ながら埋蔵量が小さく、近年では日量60万バレル程度にまで減少しています。カタールは2019年1月、とうとうOPECから脱退してしまいます。

 その一方で、新たな希望の光が差し込んできます。カタールを世界屈指の裕福な国に押し上げたのは世界最大級の埋蔵量を誇る天然ガスの発見でした。1974年に発見されたカタールのノースフィールドガス田は、埋蔵量が2020年時点でロシア、イランに次ぎ世界第三位。貿易量も世界第三位となっており、2027年までには現在の生産量の60%アップを目標に新規開発を急いでいます。

 この天然ガスが国民にもたらした富は莫大で、271万人という少ない人口ともあいまって、一人当たりの国民所得は2012年に世界第二位にまで上り詰めました。

2.将来、問題になりそうな点はありますか?

 隣国バハレーンとの間でハワール諸島など小島群をめぐる領土問題が未解決のまま残っています。カタールは91年に国際司法裁判所に提訴していますが、解決がつかないので、99年にハマド首長自らがバーレーンを訪問し、平和的解決で合意したのですが、その後の協議は不調です。湾岸諸国の中ではアメリカ寄りで、2003年には米軍のアッサイリヤ基地が設けられ、現在も稼働中です。

 カタールはまた、イスラエルとの交流開始が湾岸諸国の中で一番早く、イスラエルと貿易事務所を相互設置し限定的な外交関係を結んでいたのですが、イスラエル軍のガザ侵攻に反対する立場から2009年に事務所を閉鎖しています。

 またカタールのノースフィールドガス田は、実はイランのガス田と地下でつながっているといわれており、イランとの外交関係には気を使っているようです。

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